我らが隣人の宮部さん
  我らが隣人の宮部さん 


  

NHK・BS2「週刊ブックレビュー」
 宮部みゆきが『模倣犯』を語る
   報告者 風太さん
 
        
 
人は誰でも、自分の幻想という小さな王国のなかでは、ちっぽけな王冠をかぶり王座に座っている。(中略)破壊的な人間は、けっして誰かの国民にはならない。ただ王であるばかりだ。だから孤独である。孤独であるが故に、けっして自分を裏切らず絶対の服従をしてくれる永世国民ほしさに、ある者は物理的に、ある者は精神的に、他者を殺してはばからない。」
『模倣犯』下巻(小学館、2001年4月)、168頁

模倣犯』等について

みづれさんのコメント  01/04/06
 

 今回の『模倣犯』では、被害者側の登場人物が多く、彼ら・彼女らの描写に重点がおかれていたのが、興味深かったです。情報化社会の病理を描いていたところも、巧いなと思いました。現代日本の抱える問題を書きつつ、エンターテインメントとしての楽しみもたっぷりと味わわせてくれて、本当に素晴らしい作家だなと改めて敬服しました。
 宮部みゆきは、多くの登場人物を配置して、彼女・彼らを再び登場させるときの使い方が非常に巧みで、私は名前のないような人物といつどんな形で再会できるのか、と楽しみにしながら読んでいますが、『模倣犯』でもそういう再会に酔いしれました。本当に巧いです。
 こういう小説は、どうしても本筋とは無関係な部分に筆をさく、ということになり、したがって冗長にもなり、それは欠点にもなると思いますが、そういう部分が私は大好きで、物語のあれやこれやを忘れてしまっても、名もない登場人物の短い台詞がいつまでも心に残っていたりします。
 この物語のなかで亡くなったある女性のことが、残念でなりません。心が壊れてしまった女性のことが心配でなりません。前畑滋子に関しては、夫婦関係が興味深かったです。宮部みゆきお得意(?)の下町青年であるダンナと、現代的な働く女性である妻のそれぞれの変化を見て、改めて夫婦は一日一日積み上げていくものだと思いました。これから、何か困難があったときには、滋子は携帯電話から聞こえた台詞を思い返すことになるのでしょうね。
 宮部みゆきの小説を読むと、いつも登場人物たちの幸せを願わずにいられなくなり、そして、自分の周囲の人たちの幸せを願わずにいられなくなります。



凍月さんのコメント  01/04/08
 http://www2.wbs.ne.jp/~tsukiura/
 「今宵、月の裏側で」 本の紹介、書評サイト


 今、読み終えて机の上にある本を見ると、あらためて「厚い本だなあ」と思います。『模倣犯』は確かに長い物語でした。でも、長かったけれどその長さは苦痛ではなかったし、物語のために必要な長さだったと思います。時間の都合で細切れにしか読めなかったけど、心情的には「脇目もふらずに読みました」と言いたいです。
 物語は女性の右腕が発見されるところからはじまります。別の強盗事件で家族を殺され心に傷を負う発見者の塚田真一という少年。同じ公園内で見つかったバッグの持ち主である古川鞠子の祖父、有馬義男。失踪した女性を取材しながらも見通しのないそのルポを仕上げることに意欲を持てずにいた前畑滋子。他にも何人かの人物を核として、物語は進んでいく。
 上手いなあ、と思ったのは、情報の出し方と隠し方ですね。語られている主題とのかかわりがあまり明確でない形でぽんと出てきた名前がその後のエピソードで出てきたり。そうすると読んでいるこちら側は、「この名前、前に出てきたぞ。・・・ああ!」となる。頭の中で細切れだった情報が組み合わさって、大きな絵が出来てゆくよう。
 その、物語が組み立てられてゆく快感とは裏腹に、物語はとても重く、やりきれない部分が多かったです。読んでいる間中、犯人に対して、また自分のことしか見えずに他者を振り回す登場人物に対して、こみあげてくる不快感とやり場のない怒りとで心がいっぱいになってしまう。すべての裏でほくそ笑む真犯人。情報に踊らされ他人を傷つける無責任な聴衆の中に自分の姿が見えてムカムカする。負の感情の中でぐるぐるになりながらも、それでもその先に何が待っているのかが気になって気になって仕方がない。この犯人は裁かれなくてはいけない、そうでなくては気持ちにおさまりがつかない、じゃあ彼はどんな形の裁きを受けることになるんだろう?そして彼を最終的に追いつめるのは誰なんだろう?
 すべてが収束する終盤で、タイトルの『模倣犯』の意味に気がついた時は本当に鳥肌が立ちました。
 こういう形で結末を迎えるとは予想もしていなかったのですが、一番ふさわしい幕引きだったのではないかと思います。ラストは失われてしまったものはどんなことをしたって還ってはこないということを強く感じさせられて、とてもせつなかったです。
 作中で塚田真一に対して有馬義男が語り、それをまた真一がある人物に語った台詞がとても印象的でした。この長い物語が一番言いたかったことはこの台詞なんじゃないかと思うくらいに。
 とにかくすごい作品でした。厚さに尻込みしたらもったいない!気になるなら読むべし、です。


ATUKAさんのコメント  01/04/08
 

「模倣犯」自分が思うこと

1「模倣犯」はミステリー?
 この作品は犯罪をモチーフにしてはいますが、ミステリーには絶対かかせない読者向けの「謎」の提示がまったくありません。このストーリーならやろうと思えばいくらでも出来るはずなのに、です。
 「犯人は誰?」「犯行はどのように行なわれたか?」「個々の事実のつながりは?」
 これらのことが、すべて読者にオープンにされた状態で物語が進行し、ラストで「どんでん返し」が用意されているわけでもありません。
 これらの事柄から思うに「模倣犯」はミステリーではなく、犯罪をモチーフにした社会小説という感じでしょうか。

2「模倣犯」はファンを選ぶ?
 このように、あえてミステリーの要素をみんな排除してまで登場人物の思考表現や心理の描写の方を優先した作品なので、人の内面を描くタイプの小説に興味を持てない人、「(話しの展開の)スピード感」「サスペンス感」「謎解きのおもしろさ」だけを求めるようなファンは、お呼びでないかもしれません。

3「模倣犯」はどうして感動できるのか?
 この作品は登場人物が多く、しかも本筋を中断してその個々の人物の物語りが綴られていくことがよくあります。実はこの「登場人物の物語」の存在こそが読者の心を揺さぶったり、感動させたりする素になっているのだと思います。
 一例をあげると、第2部で最後に殺される○○さんのエピソードがかなり長いこと語られています。そこの語りで読者はこの人物に馴染み、そしてこの部分があるからこそ、この人物が殺されてしまうとき、より強く読み手の側に哀しみや恐怖の感情が呼び起こされるのだと思います。
 まったく馴染みのない人が殺されるより、人間性等を理解して情が移ってしまっている人が殺される方が衝撃が大きいのです。
 ですから一見すると、本筋とは無関係にも思えるこれらのサイドストーリーは、決して無駄な部分ではく、読み手の心をいかに大きく揺さぶるか、その仕掛けになっているのだと思います。

4「模倣犯」個人的感想
       **** 以下、多少内容に触れてます ****
 僕が一番印象に残っているのは、高井家の兄妹のことです。主要登場人物の真一、滋子、また有馬氏でさえ、まだ未来に光があるような気がするのですが、 しかし、この兄妹は、あまりに救いがなさすぎる、、、
 第2部でさんざんこの2人に感情移入し、情も移っていたので、余計そのように感じました。


風太さんのコメント  01/04/15
 
http://homepage2.nifty.com/time-tunnel/
 「タイムトンネル」 風太さんとお嬢さんとで運営する読書サイト


 「模倣犯」は、みなさんがおっしゃるように重い物語でした。何度もページをめくる手を止め、ため息をつき勇気を出して読み進める、という今までにない読み方をしてしまいました。
 いつもならサイドストーリーを楽しむ私が、やや長く感じてしまったのは、たぶん読むのがつらかったせいもあると思います。第1部では犯人の残酷さに(犯人が有馬義男をいたぶる手口など)胸が悪くなり、第2部では高井和明が悲劇へ向かっていく予感に胸がつぶれそうになり、第3部の最初のほうでは、刑事が「栗橋、高井が」と彼を犯人扱いする言葉に泣きたくなりました。だから「建築家」の登場などで真相がわかりそうになるとほっと安心して読むスピードも上がりました。
 登場人物も多く思い入れもそれぞれにありますが、印象に残ったのは有馬義男、前畑滋子、高井和明です。
 有馬義男は私たちの父親の世代にあたり、その方たちが持つ「まっとうな感覚」にひかれました。最後の彼の悲痛な叫び「何も終わってない!」が胸にせまります。前畑滋子については最初は反感を持っていました。しかし夫婦の危機にさらされ自分の限界を自覚し自分のおかした過ちをまっこうからみつめるところから好きになり、最後に犯人を追い詰めていくところでは快哉を叫びました。前畑夫婦の今後の幸せを願ってやみません。
 高井和明については、私にも息子がおり、活発な妹に比べ小さい頃からおとなしく引っ込み思案で、ずいぶん心配し、時には苛立たしい思いをしたり、そんな自分の態度を自分で責めたりしていたので、特に思い入れが深くなりました。だから第2部が一番読む速度がおそくなりました。最後の方で高井和明の中学時代の恩師が「優しい、いい子だった」と言う場面では号泣してしまいました。
 つらく救いがない高井家の悲劇ですが、高井和明が栗橋浩美を説得できたことが救いになるかと思います。最後まで栗橋浩美の身を案じていた彼の優しさが心に残りました。しかし高井由美子の場合は兄和明に比べ最期まで救いがなかったことが残念でなりません。
 今回この「模倣犯」の長さについては、実は私の中でも揺れています。いくらなんでも長すぎないか、という気持ちといやこれだけのことを書くにはやはりこの長さは必要だったのだ、という気持ちとです。もう少し時間がたつとはっきりするかもしれません。


はづきさんのコメント   01/04/27
 

 『模倣犯』を読んで強く印象に残った人物とその場面についてコメントさせてもらいます。
 高井和明、彼のことがもう、ほんとうに、ほんとうにどうだといえばいいのか……。浩美がピースの呪縛から逃れかけ、カズは大丈夫だっていう、と繰り返すところや、彼が死の寸前、カズは生きているだろうか、生きていてほしい、俺も生きたいとのモノローグ、そして和明は、最期の最期まで、浩美のことを案じていたことなど、本当にとても感激させられました。そして、柿崎校長が「いい子だった」と繰りかえしていった、そのあたりではほんとに泣くしかない、という感じでした。
 由美子については、はっきりいって彼女自身に怒ってます。というか、むかついてます。なんでそんなにふぬけちゃったんだよ! と。図書館で浩美の正体に気づいたとき、いっしょにいたのはこのピースだったんだろう!! なに骨抜きにされてんだこの大馬鹿野郎! です。
 ところで、これは「純粋悪」「絶対悪」を描いた話なのでしょうか? わたしにはそう思えません。だってピース、ただの馬鹿でしょう。ただこいつは、怪物です。幼児性、幼稚さのもっとも厄介な部分が具現化したばけもの。それは「悪」ともいえない、とにかく始末におえない、それだけの存在です。その「それだけ」が一番こわい。ピース予備軍は、とっても多いはずです。共感はできなくても、想像の範囲内にはある、リアルな存在。こいつに完全勝利できたのは、和明だけでしょう。死をもって、ではなく、誠実と忍耐と、浩美を思う心で。



野垣スズメさんのコメント  01/04/30
  http://www1.kcn.ne.jp/~taka7823/
 「野垣研究所」
  プロマンガ家のオリジナルイラストメインのサイト。「模倣犯」のイラストあり。

 「模倣犯」そのものについての感想ではなく、あえて一番惹かれた人物「栗橋浩美」について書かせて頂きたいです(ネタバレ的なのでご注意を・・)
 犯罪者に共感してしまうなんて・・と、我ながらヤバイかしらとも思うのですが、一番心に残った人物です。浩美は、母親に繰り返し「いらない子だ」と刷り込まれていますよね。これはまさに、現在多発している「虐待」を思い起こさせました。子供の虐待は殺人と同等です。「少しずつ殺されていってる」浩美がかわいそうでなりませんでした。(第1部の浩美はただただ憎たらしいんですけど・・)親からの愛情を受け取れない、それだけで怪物ができあがってしまうんです。ですから・・読み終わった後、相変わらず流される虐待のニュースがいつも以上に嫌でたまりません。
 最初のほうでは浩美は、カズに幽霊の事を指摘されても「この事件と何の関係があるんだ?」といぶかっていますよね。つまり本人も「自分が女性を殺すのが、何故気持ちいいのか」を気付いていない。最初の殺人=女の子の幽霊と「見間違った」女性を殺害、という構図を本人も忘れているように見えます。というより、忘れたいのかもしれませんが・・。その構図を思い出させ、真正面から向き合う事を強くすすめた人間がまさにカズです。トラウマを強く受けてしまった人って、そのときの年齢のまま時が止まってしまうように思うのです。だから浩美は(カズも感じたとおり)「うずくまって泣いてる子供」のように思いました。そしてカズは力強い手を持った「大人」で。その手を浩美のほうに差し伸べて・・。
 「親から愛情を受け取れないだけで怪物になってしまう」と書きましたが、それを回避できる方法もあると思うのです。親以外の人に十分な愛情をもらうことです。でも、これは難しいです。愛情に飢えてる人はそんな相手に出会ったら、全力で甘えようとします。親からもらえなかった分をそこで補おうと必死になりますから。それを受け止める方も、かなりの覚悟がなくてはできません。でも、カズならできたはずです。事故直前の車の中、隣の、カズの体温を感じていた浩美はやはり嬉しかったんじゃないでしょうか。 
 彼らに生きていて欲しかった。自首して欲しかった。獄中にいたって、きっと幽霊に苦しめられただろうけども、和明なら毎日のように面会したり手紙で励ましたりしたのだろうな・・と想像せずにはいられませんでした。
2人は悲しい結末でしたが、直前にちゃんと手は届いたように思うので、それがせめてもの救いだったかなと思いました。和明の聡明さと強さ。これはまさに宮部さんの得意とする「美しい人間」だなと思いました。


ちゃくさんのコメント  01/05/02 
 http://www.ne.jp/asahi/chmpm/chbk-y/index.htm
 「Champam」鑑賞した映画の紹介・感想とエッセイのHPです。

 「模倣犯」はやっぱり話題作なんですね。満員電車の中で幾人かの人達がこの分厚い本をちょっと苦労しながら手に持って読んでる姿を良く見かけます。「怖いのキライ」の私の母も少しずつ読んでは「ああ、怖い」と言っては夜中起きてしまうほどです。(笑)
 この作品に出てくる「犯罪者」に吐き気を催すような嫌悪感を覚えてしまいます。注目を浴びたいだけの、頭デッカチの、こまっしゃくれてて、何したっていいと平気で嘘をつく子供。彼らの成長期に培われた背景が見えたところで、「だからこうなった」とは同情したくたってその余地が無さ過ぎる。例えどんなに辛い背景を持つ犯罪者がいたとしても、又は心理分析した結果がどうであっても、真っ当に働く人々が犠牲者と成りうる限りは絶対に許さない。そういう強さを感じた作品でした。
 それから、これまで宮部さんが描いてきた「汗水流して働く人々」が被害者となり、それは犯罪に巻き込まれるような事をやはりしていたからだろう、それじゃ仕方がないなと世間の非難の目に晒されていることに不条理さを感じました。と、同時に私自身その世間の一人に成り得るのだと思うと何ともやり切れない気持ちにもなりました。ラストで有馬義男がピースに「お前のことなんかいつか忘れられてしまう」と言いますが、悲しいことに事件そのものすら忘れられてしまうものでは、と。有馬義男が酔ってわめき泣くシーン、本当に悲しかった。
 「読売新聞」001.04.21に「『模倣犯』が大ベストセラー 宮部みゆきさんに聞く」という記事がありました。5年にわたる執筆の間に現実に起こった事件が物語を超えてしまったことに驚きを隠せなかったと語っており、また重犯罪に対して厳刑な処罰を推奨する一方で、それらに巻き込まれた加害者や被害者の家族に対してのケアが何よりも必要なのではないか、とも言ってました。
 今まで読んだ宮部さんの作品の中ではリアルで一番おぞましかったのですが、警告にも似たメッセージを感じた作品でもありました。単なるベストセラーだけの作品で終わって欲しくないと切に思いますし、後になって振り返れば、きっと今現代の暗い部分を最も映し出した作品になるんでしょうね。


Kinoさんのコメント  01/05/15
 

 うねる波の中に真実が、見え隠れする。

 ピースは、すべての役者を動かした脚本家と思い込んでいました。でもピースは、本当に役者を動かしていたのだろうか?本当は他の人物がピースを動かしていたのではないのか?それを考えると、ピースというのは役者にすぎぬ存在で、そのピースなる人物に設定を与え、性格を決め、それにふさわしい役割を演じさせてしまったのは、他ならぬ僕、自分自身だと気がつきました。僕がピースだったんです。
 それはピースの考察から始まります。本編中、ピースの生い立ち・振る舞いは語られています。が、あくまでもそれは浩美から見たピースであり、真一が感じているピースです。常にピースは単独ではなく、登場人物に合わせて動いています。ピース本人が内面を自ら語る場面はほとんど皆無です。ピースの輪郭はもともと描かれていないんです。でも、希薄には感じない。それは、読者である自分がピースに肉づけをし、理解できないもののように歪ませて演出し、物語を進行させてしまったからだと思います。自分自身の心の闇を投影してしまっているのがピースなんです。人の心の中に潜む人物、それがピースなのではないかと感じました。
 さらに、この自分の中のピース・歪みという点で、模倣犯の提示しているものをつきつめてみます。作品『模倣犯』は、小さなエピソードの集合体の構成をとっています。エピソード本体が情報のような役目を持っているのだと思います。『模倣犯』が現実におこった事件と捉えてみると、僕たちが知ることができるのは、第一部の僅かと滋子のルポのみです。それに加え、野次馬的な記事・噂が発生します。その時、カズとヒロミを凶悪犯罪者と決めつけ、型にはめこみ、早急に納得を図ろうとするのではないか。次には、被害者やその家族までも悪いかのように勝手な理由をつけてしまうのではないか。これでは、まるで自己中心の脚本家ピースと同じではないか。ここでも自分の中に潜む脚本家ピースを再認識してしまいます。そして、ここで、浮かび上がって来ているのがある行為です。第三者から移植した価値観・情報により、無意識に人や物を歪めて見てしまう行為です。この行為の罪は、自分の価値観・情報が大きくすり変わってることに、気づかないということです。自覚症状のない罪。もしかすると、これを説明する単語として、模倣犯という言葉を重ね合わせてもいいのではないかと、僕は、少し思うようになりました。
 ピースの存在を通じ、歪みということで感想を述べたのですが、最後に思うことは、まったく歪んだり揺らいだりしていない出来事があるということです。それは、いくら理屈をこねようが、ピースは人を殺したということ。意味なく殺された人は帰らないし、それによって傷つけられた人が確実に存在するということ。歪むものを感じることによって、逆に、微動だにしないものがあるということを改めて、たたきつけられてしまいました。波のように引き、そしてさらに力強く押し返してくる作品。それが、宮部みゆき『模倣犯』です。


にこさんのコメント  01/05/28
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/index2.html
 「本の数珠つなぎ」 読書のHPで宮部みゆきのコーナーもあります


 「模倣犯」を読んで私が一番印象に残ったのは、カズの目の病気です。こんな病気があることを私は全然知りませんでした。

 「人は皆、自分の目に見えているものは、他の人の目にも同じように見えているはずだと思う。いや、意識して『思う』どころか、そういうものだと決めてかかり、あらためてそれについて考えてみることさえしない」(下巻、PP.217-218)

 水野久美さんはほんの少し斜視でしたが、他の人と視線のベクトルが違うから女性カメラマンに気付きました。カズは視覚障害があるために子どもの頃に頭が悪いと思われていましたが、そんな彼がピースのうそなんか通用しないと栗橋浩美を説得しています。
 カズは学校で馬鹿にされて辛い思いをしてきました。でも、みんなが馬鹿にしたわけではありませんでした。柿崎先生はカズをちゃんと見ていました。柿崎先生のおかげで、世界が変わりました。自分は馬鹿ではないとわかりました。そんな体験を通じてカズ自身も人を見抜く力をつけていったのだと思います。
 さらにカズは学校を卒業してから真面目に実家の仕事を手伝っていました。カズは、毎日お客さんと接しながら、いろいろな人から体で学んでいました。
 足立印刷の増本青年は、ピースからインチキ電話をかけるように頼まれたときに、「あんな提案を大真面目で持ちかけて、こっちがほいほい引き受けると思ってるなんて、まるっきり人をバカにしている」(下巻、P.598)と思いました。有馬義男さんは、電話の声から犯人は2人だと気が付きました。カズは、真面目に働くことで増本君や有馬義男さんと同じ能力を身につけていたのだと思います
 ピースは、確かに頭はものすごくいいです。そして、第一印象も完璧で説得力もあります。でも、本当は中身が空っぽでした。だからカズは、ピースのうそなんか通用しないとすぐ分かったのだと思います。


あじさいさんのコメント   01/06/05

 「模倣犯」を読んで、涙が止まらなくなる場面がありました。それは、第三部の半ばで、有馬義男が、真一にどう立ち直るかを話す場面でした。
 自分の家族の事件に深く責任を感じている真一には、生半可な説得や慰め・共感には、拒否反応が起きてしまう・・・・。そして、さらに深く・深く自己嫌悪と自己否定の世界に閉じこもってしまう・・・・。
 そんな彼に、義男は、「心の傷」や「罪悪感」との折り合いをつけるきっかけを与えてくれました。樋口めぐみにも自分で何とかしろと行ってやれ!と。そのとき、真一が病の癒える兆しを見つけた、と書かれてありました。「兆し」だから、真一はまた怯えることもあるし、なによりそういって励ました義男だって、物語の最後では自分をどうすることもできずに号泣するのです。
 でも、少なくとも、考え方の筋道を示してくれたんですね。「電気がなぜつくのかは知らないが、スイッチをひねればつくということは分かった。」というやつです。
 なぜ、こんなところに震えるほど感動したかというと、私にもそういう体験があるからです。殺人事件ではありません。でも、取り返しのつかない事件が起こる前に、私なら防げたかも知れない、私が気付いたら変わっていたかも知れない、と自分を責め続けて、もう、12年たってしまいました。この後悔は、絶対に誰にも分かって貰えないし、その後に起こった様々なことにも、私には全部責任がある、と思ってきました。
 それが、溶かされていくのを感じることができました。その後悔の塊が、何か温かいもので包まれて、溶かされるような・・・・。宮部さん、ありがとう。直接お会いして、お礼が言いたいくらいです。
 昔からのファンでしたが、いつもならすらすらと読み進むのに、なぜか今回は、読了するのに1ヶ月近くかかってしまいました。それだけ、私にとって、重い題材だったということでしょうか。読むのが辛いところもあったけれど、読み終えてよかった! 
  私のように、苦しみながら読んだ方、いらっしゃるでしょうか? 


雫さんのコメント  01/09/17
 

 『模倣犯』を読んで、昨日まで普通に暮らしていた人々が怪物の魔の手にかかり生き地獄を経験した上で実際に殺される怖さや、被害者の遺族の人たちが何も悪いことをしたわけではないのに自分を責め続けなければいけない内向きの人生を送らねばならない、その辛さが痛いほど伝わって来ました。
 ところで、栗橋浩美が何故ああなっていったのかは、結構書き込まれていたのですが、ピースについてはその辺の書き込みが少なく、作者は読者側の想像力にゆだねているようですね。それで、「みんなで語る宮部作品」の掲示板の過去ログを参考にさせてもらいながら、私なりにピースという人物の心理と行動を彼の生い立ちと関連させて推測してみることにしました。
 Kinoさんのご意見に、ピースは断片という意味のピースと捉えることもできる、とありました。あっ、それなら、ピースには駒という意味もあるじゃないかと思いました。私の考えはピース=駒というものです。ピースは、他人を自分の駒としてしか思わない人間ですが、そんな彼自身が子どもの頃は駒として生きさせられてきたのではないでしょうか。それで、意識的無意識的どちらかわかりませんが、駒として生きる屈辱を他人に与えて自分が操る方にまわって復讐を仕掛けるようになったのではないかと思ったのです。
 以下、ピースについて少しずつ散りばめられているかけら(ピース)を拾い集めて、私なりに推察したところを書いてみます。
 上巻で、「卑怯」「いくじなし」「頭が悪い」「ひねくれている」等々の悪口には絶対に我慢できないし、絶対に許さないというピース像というものが浩美を通して語られています。それと下巻も最後の方で前畑滋子さんが彼のことを調べていくと複雑な家庭環境が露わになります。彼女曰く、「幼年期から思春期を通して、網川浩一が、彼自身の居場所というものを、きわめて見つけにくい人生を強いられてきたということだ。彼が誰の子供であっても迷惑をする人がいる。怒る人がいる。いっそ彼がいない方がせいせいするという人が、確実にいる」。これは、辛い。浩美もそうだけど、子どもに対する精神的打撃としてはトップに位置する仕打ちでしょう。
 彼は、愛すべき浩一君、私のかけがえのない大切な子どもとしての浩一君としてではなく、母親にとって生まれて来たから仕方なく育てているといった存在、またはもしかしたら結婚を迫るために利用できる材料としての存在だったのかもしれません。さらには、その後も愛人として自分の位置をキープさせ金蔓を失わないために可愛い子どもとして演技させることによって駒として利用できる、そんな存在としか思われていなかったのかもしれません。彼は聡い子どもだったでしょうから、幼いながらも母の意図を汲んで可愛いにっこり笑顔で応えていたのでしょう。お前はひねくれてるねえと母親に言われるのが嫌だったのかもしれません。
 でも、自我ができ、自分のアイデンティを模索するころから、彼の中で俺って何?という苦悩が渦巻いて来たことでしょう。そこから自分の親は卑怯だ、いくじなしだ(母親は自分の足で立っていませんから)、そんな奴にはなりたくないという真っ当な気持ちが心の底に生まれたと思います。それをストレートに活かしていれば親を反面教師として普通に生きていけたのかもしれません。でも彼は充分すぎるくらいに歪んでしまっていたのでしょうし、それなりの頭も持ち合わせていたのです。自分で(人間的には幼稚なまま)彼に救いの手を差し伸べる人もなく・・・。彼はプライドが高すぎたとも言えますし、人を信じられなくなっていたとも考えられますが。救いの手は自ら差し伸べないと広げてもらえないものなのでしょう。彼は、人に弱みを見せることなく、一見いいとこのぼんぼん風に、爽やかな青年として世間に認知されていったのです。
 そんな彼は、世間なんて自分の好きなように騙せるんだと思うようになっていったのではないでしょうか。だから最後に有馬さんがこう言い切っています。「世間を舐めるんじゃねえよ。世の中を甘くみるんじゃねえ。あんたにはそれを教えてくれる大人がいなかったんだな。ガキのころにそれをたたき込んでくれる大人がいなかったんだな」と。
 大人の都合だけで駒のように戸籍上を行ったり来たりさせられたピース。楽しくないのににこにこ笑顔を作らされたピース。そんな彼が、拉致した女性をひどい姿で写真に撮る時、笑顔を作らせていました。つらいだろう、味わってみろ、といわんばかりに。そして、無実の人にいきなり過酷な立場に立たせて、その後も一生何故?何故?と思わせ続ける人生を歩ませることも、彼が生まれた時から過酷な立場で、何故?どうして?僕はなんでいるの?と思い続けて来た気持ちを味わってみろ、とやっているのではないだろうかと思ってしまいました。


オサムさんのコメント 01/11/17
 

 「模倣犯」を読み終えた後、とても気持ちがハイになり、この作品を読まれた方々の意見も拝見したいと思って関連サイトを検索をしていましたら、やまももさんのサイトに見事ヒット致しました。大勢の方の感想や意見を拝見して、「あ〜なるほど!」「うわ〜こんなこと全然思いつかなかった!」と、自分とは全く違う視点で読まれてる方々に驚いたり、感心したりで、胸を熱くさせられたものです。
 僕は和明のこの言葉が、今までに感じたことのない強烈な印象として、胸にしっかりと残っています。それは第二部のラストの方に出てくるつぎの文章です。

 「誰かに向かって手を広げ、俺がついてるよ、一緒なら大丈夫だよと声をかけた瞬間に、人間は、頼られるに足る存在になるのだ。最初から頼りがいのある人間なんていない。誰だって、相手を受け止めようと決心したそのときに、そういう人間になるのだ。」

 僕はこの文章を何度も何度も読み返しました。読んでいてとても胸が熱くなりました。まるで和明が僕に向かって言っているようなそんな気にもなりました。この言葉は、自分を小さく見がちで、何事も自ら抑制してしまう傾向にある僕にとても力強い魂を与えてくれました。大げさな言い方かもしれませんが、それぐらい、僕には深く心に刻み込まれた言葉でした。
 和明は不器用な人間だったけれど、とってもハートのある「イイ奴」だったと思います。浩美は最後の最後になって和明のことを理解し始めたようですが、このことがせめてもの救いだったのではないでしょうか。
 恥ずかしながら、僕は宮部みゆきさんを全く知りませんでした。「模倣犯」で初めて宮部さんのことを知りました。これからもっともっとたくさんの作品に触れていきたいと思っています。


テハヌーさんのコメント 02/03/02
 
http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/arupu/tehanuu.html
 「テハヌーさんの映画日記」ハリウッド映画からミニシアター系の映画まで


  やまももさんが掲示板でピース&前畑滋子の宮部さん分身説を言っておられますが、私も同感です。
 宮部さんは、お話を作りながら登場人物達を動かし、生かす者と殺してしまう者を選ぶ作業をされる訳ですよね。ミステリー作家なら当たり前ではあるけれど、これは確かにピースが自らを「演出者」と見なして連続殺人事件にかかわる姿勢とそっくりダブってくると思いました。そういう意味もあってピースは個人性が薄いのかなとも思っているのですが、どうなんでしょうね。
 また、作家の宮部さんと同様にピースも前畑滋子もマス(世間一般の人々とか大衆)を相手にしていますね。滋子はマスコミ関係者ですから、犯罪を通じてマスを相手にするピースとその点で土俵が一緒だと考えました。そのため、ピースは事件について語る滋子に対して、非常にライバル視しています。それから、二人がともに「オリジナリティ」を重視するところにも作家としての宮部さん自身の影が見える様な気がいたしました。ピースは事件を自分の作品だと思っていて、滋子も、もちろん書く記事が作品になります。創作活動の上で大切なことは「オリジナリティ」であり、それの持つ意味をピース同様に滋子もよくわかる立場にありました。それゆえ、あのクライマックスの場面でピースを暴けたのは、滋子であったのだと思ったのです。「作家を殺すのには刃物はいらない」というけれど、オリジナリティを重視し、こだわったからこそ、ピースは破れてしまいました。それから、滋子は当事者では無いけれど、殺人事件を扱う人として描かれていて、そんなところにも宮部さんの姿が投影されているようです。滋子にも後ろめたさや葛藤があるように、宮部さんにも小説を書く事の辛さがあるんだなと感じました。
 小説を書く事の辛さといえば、宮部さんがインタビューで高井由美子の不幸な結末について尋ねられたとき、「結果はあれしかなかった」ときっぱり答えられていました。その記事を読んで、なるほど宮部さんは、確信犯的にあの結果にしたのだなと納得できた気がしました。多くの読者が由美子のこの結末を期待していない事はわかっていたでしょうし、だからこそ、そうしてしまったら自分の書きたい事は書けないと考えられたんじゃないでしょうか。そして、そこで気がついたのは滋子の事です。滋子が事件について最初に書いた記事。あれは滋子自身が本当に書きたかったものではなかったのではないか、いわばマスが望んだもの、皆が読みたがっているものを書いてしまったんじゃないかと思い当たりました。自分の書きたいものと、受け手の期待するものとの違い。この間には、やはり微妙で深い溝があるのでしょうね。作者の葛藤もあるんじゃないかと思いますが、やはり自分の書きたい事を誠意を尽くして書く事が大切なのではないかと思います。滋子がこの事件を通じて得たものはこれだったのかもしれません。
 その視点から、同じ土俵のピースについて考えてみるとピースが侮り、見くびっていたマスに反対にあやつられていたんじゃないかと思い付きました。あらゆる人に自分の存在を知らしめたかったピースはマスを意識せずにはいられないでしょうし、網川としてその期待を一身に受けてマスコミの寵児になり、そしてマスコミによって墓穴を彫ってしまう。これは、つまり、最後の有馬さんの言葉通りなんですね。ここまで考えてきて有馬さんの言葉の意味がやっとわかったように思いました。
 でもこれだけじゃなく、もっと意味がありそうにも思います。宮部さんを含む犯罪をモチーフにする小説家というものが、現実に起こりうる事件を模倣する「模倣犯」なのではないかと、深読みしてしまうのです。これは、私の強引な解釈ですが、「このミス」のインタビューで「読者の方それぞれが、このタイトルを色んな意味に解釈していただけるんじゃないかなと思っています」と宮部さんは、おっしゃっているので、是非とも「模倣犯」を読んだ皆さんそれぞれの「模倣犯」の意味を私も聞いてみたいと思っています。
 ところで、TV局での二人の対決直後、昭二から電話がかかってくる場面で、私は読みながらぽろぽろと泣いてしまいました。いいシーンですよね。あまり救いの無いこの話の中でも素敵なシーンだと思います。その後の二人の生活もきっと色々あるだろうけど、すごく応援したい気持ちになりました。滋子にはマス中の個人一人ひとりを見つめて記事を書いていって欲しいと思います。きっとそんな意味も有馬さんの言葉には入っているのでは?と思っているのですが。この事件で何かを理解した滋子は、きっとそうしてくれるだろうと信じてやみません。
 何だか、滋子が実際に存在しているみたいに書いてしまってますね。彼女を近く感じるのは、個人的に私の仕事柄もあるかもしれません。広告を制作デザインする仕事をしているので、一応マスコミの端っこに乗っかっている事になります。だから、上記の様なことは、もちろん自分にもいたく肝に命じて仕事しているつもりです。
 宮部さんは本当にこんな話を書くのは大変だったと思います。自分の影の部分(ピース)、嫌な部分(滋子)も書くんですものね。でもそういうことも皆内包していたから、あんなお話が書けたんですね。ただの読者である私は全く感謝するばかりです。


りりもんさんのコメント 02/03/05
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/arupu/ririmonn.html
 「りりもんさんの映画日和」娘さんと一緒にご覧になった映画の感想

 「模倣犯」について色々なコメントが寄せられていて、とても興味深く拝見しています。この作品は読む者の年齢、立場によって感情移入する対象が違ってくる、とても不思議な作品でもあると思います。それだけ色々な角度から色々な人物を、より細かく描写しているからなのですが。
 普通小説を読むと、主人公、もしくは語り手の目で物語を追っていくので、その人物と気持ちを同調させてしまうのが普通です。でもこの「模倣犯」では、孫のいる立場の人なら有馬老人の気持ちに、カズや由美子と同じ年頃の子どもを持つ親には高井夫婦の気持ちに、教師ならカズの恩師の気持ちに、ジャーナリストなら前畑滋子の気持ちに、独身の若い女性なら犠牲となった女性たちの気持ちに痛いほど同調し、そして考えてしまうと思います。「もし、こんなことが自分の身に現実に起こってしまったら」と……。そして考えれば、考えるほど眠れぬほどドキドキしてしまい、更に考えてしまうのです。その後の彼らがどうなったかを…。
 「模倣犯」を読んでから随分時間が経ちますが、こんなに細部まで色々な場面を覚えている作品はそうありません。それだけ印象深く、また、ただ本の中のお話で済まされないほど重みと現実味がある作品なのでしょう。そう、私もまんまと宮部ワールドに取り込まれてしまったひとりです。


週刊ブックレビュー:宮部みゆきが『模倣犯』を語る 
(NHK BS2 2001年7月21日放送)
 報告者 風太さん
 
 
http://homepage2.nifty.com/time-tunnel/
 「タイムトンネル」 風太さんとお嬢さんとで運営する読書サイト


 7月21日のBS2「週刊ブックレビュー」を娘と一緒に観ました。宮部さんの登場は番組の後半で、あらわれた宮部さんは写真でみる通りの小柄な可愛い方でした。TVでみるせいか、写真よりお顔がふっくらしてました。少し茶髪でイヤリングもしてらして、意外と(?)おしゃれ。声もかわいらしく、でもとてもはきはきとそれでいて丁寧な話し方で、頭のよさと人柄のよさが感じられました。文壇の歌姫と呼ばれるのも納得です。

 「摸倣犯」についていろいろお話が伺えました。全てを再録することは無理ですが、印象に残ったことを書きます。

 読者の反響については2つの心配があったこと。こんな残酷な犯罪を書いてもう大嫌い!というものと、現実にてらしたらまだまだ踏み込みが足らないという批判の両方がくるだろうと予想していたとのこと。

 また第2部の犯人の残酷な犯罪手口に関しては宮部さん自身、自分は女性だし、被害者も女性なので犯罪の手口に関しては生理的ブレーキがかかり、どうしても踏み込めない、もうかんべんしてという部分がいくつもあったそうです。これが男性作家だったり、また女性でも踏み込んで書ける人は、もっと踏み込んで先鋭的に書いたであろうそこが私の甘さです、と謙虚におっしゃっていました。

 膨大な長さについては、犯人とささいな関わりしかない人まで、とにかく一から十まで書くということを一度してみたかった。それで統一の取れる作品を作れるのかを試してみたかった。犯人のようなとるにたらないつまらない人間がもっとちゃんと生きている人たちの人生を、いともたやすくこわしてしまう。それを書くために犯人が埋もれてしまうほどまわりの人を書き込みその中で犯人がどう見えるのか、という書き方をした。

 「なぜ、人を殺してはいけないのか」という問いに対する宮部さんなりの答えがこれだったということでした。エンターティメントとして犯罪を取り上げているものの責任を痛切に感じ、こういう作品を書くことでそれを果たそうとしている誠実な姿勢が感じられてとても感心しました。

 それにしても宮部さんはホント可愛かったです! 実物(TVを通してですが)を拝見して声を聞いて、ますます宮部さんが好きになりました。


作品名 あ行〜な行       作品名 は行〜わ行



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