我らが隣人の宮部さん
  我らが隣人の宮部さん
     
みんなの宮部みゆき作品 

この「我らが隣人の宮部さん」は、みなさまからいただいたメールや掲示板への書き込み、さらには他の方のHPに掲載されているコメントのなかから素敵なものを選んでここに転載させていただいたもので、みんなとてもユニークでかつ鋭くて的確なコメントばかりです。
 みなさまのお力でこの「我らが隣人の宮部さん」がより豊かでより楽しいものに育つことを願ってやみません。
                                                            
『あかんべえ』 『初ものがたり』
『あやし〜怪〜』 『鳩笛草』
R.P.G. アール ピー ジー』 『人質カノン』
『火車』 『震える岩』
『蒲生邸事件』 『ブレイブ・ストーリー』
堪忍箱』 『返事はいらない』
『クロスファイア』 『ぼんくら』
『幻色江戸ごよみ』 『魔術はささやく』
『心とろかすような マサの事件簿』 『模倣犯』
『今夜は眠れない』 『夢にも思わない』
『ステップファザー・ステップ』 『理由』
『スナーク狩り』 『龍は眠る』
『誰か somebody』 『レベル7』
『地下街の雨』 『我らが隣人の犯罪』
『天狗風』 宮部作品全般
『東京下町殺人暮色』 宮部作品は人生の応援歌
『ドリームバスター』 宝島社の宮部ムック
『とり残されて』 心に残った宮部短篇小説
『長い長い殺人』
作品名 あ行〜な行

『あかんべえ』等について


風太さんのコメント 02/05/03
 CYP02341@nifty.ne.jp
 http://homepage2.nifty.com/time-tunnel/
「タイムトンネル」 風太さんとお嬢さんとで運営する読書サイト

 ようやく「あかんべえ」を読み終わりました。読み始めると引き込まれて一気に読んでしまいました。以下ネタバレがありますのでご注意ください。

 おりんちゃんがとても可愛く、おえんちゃんとのやりとりの面白さなど、小さな女の子たちのませた口ぶりがとてもよくあらわされていると思います。同じ年ごろの女の子(のお化け)なのに、「あかんべえ」をするだけであまり出番のなかったお梅ちゃんが、最後にあらわれて解決へむかう所は、力強く迫力があり、このためにこの子がいたのかと納得できました。それから、三途の川で会った人のことが、きっと何か関係があると思っていましたが、話が進むにつれてころっと忘れてしまい、後でやられたと思いました。

 お化けを見ることが出来る人と出来ない人。その違いがその人がこころに闇をもっているかいないかにある、というところは説得的ですね。七兵衛のように苦労してきても、まっとうに真っ正直に、不器用なくらい真っ直ぐに生きてきた人には、お化けは見えない。でもこの世はそんな真っ直ぐな人たちだけで成り立っているのではなく、こころに闇をもっていてもそれに打ち勝つ人々がいてこそ、正義や秩序が保たれている。そんなことを感じました。
 ただ、浅田屋と白子屋など、あまりにたくさんの人が出てくるのは、少しごちゃごちゃしているかなと思いました。また料理がとてもおいしそうなのに、いつもめちゃめちゃにされてまともに食べてもらえないのは、太一郎ではないですが、なんだかつらいと思いました。

 「あかんべえ」を読み終えたころ、ちょうど日経新聞の書評でとりあげられていました。縄田一男氏の書評の一部を引用します。

「本書で特筆すべきは、このおりん=亡者が見える側に対して、おりんの祖父がわりともいうべき七兵衛=亡者が見えない側の意味を掲示。それぞれ、正と負の要素をもつ人間が救(たす)け合う理想のかたちを描いてみせた点ではないか。(中略)かっての己自身に慙愧を抱く亡者たちが生者のエゴイズムを次々と剔抉(てっけつ)していく箇所は圧巻。私たちは、物語を読み進むに連れ、極めて当たり前であると考えていたこと、すなわち、子どもが愛情に包まれて育つことがいかに貴いことか、を改めて思い知らされることになる。宮部流人情ホラーの一つの到達点というに足る一巻であろう。」

 とても高い評価をしているのが嬉しかったです。「子どもが愛情に包まれて育つことがいかに貴いことか、を改めて思い知らされる」というところは、おりんちゃん、お梅ちゃんをみていると本当にそう思います。「お父、お父!」と叫ぶお梅ちゃん、おりんに「あかんべえ」をするお梅ちゃん、父親と一緒に仏さまに会えたでしょうか。



テハヌーさんのコメント 02/09/23
 h2o@h4.dion.ne.jp
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/arupu/tehanuu.html
 「テハヌーさんの映画日記」ハリウッド映画からミニシアター系の映画まで

 
 「あかんべえ」を図書館から借りるのに4ヶ月ほど待ちました。読み出して、ああ「お化け」(幽霊じゃ無くてお化けってのいいですよね)のお話なんだ、それで京極さんのお払い済み印が(笑)、と納得しつつそのまま一気にお話の中へ。
 
※ここからネタバレしてます

 読み終わって不思議に思ったこと。おりんちゃん達、七兵衛の家族はみな血が繋がってないことが最後でわかります。でもこのお話に出てくるどの家族よりも一番温かい家族らしく思えるのですね。おゆうも銀次もおどろ髪も血がつながった者たちを憎んでいた。家族の絆、血のつながりって一体なんなんだろうと思わず考え込んでしまいました。この問題はかなり難しくて、とても簡単に答え等出そうもないのですが(簡単に出てしまったら文学の立場が無いような気もしますが)。ただ血が繋がっているいう事は、時に諸刃の剣のように本人を追い詰めてしまうことにもなりうるんだということは思いました。七兵衛さん家族は「血」ではなく「まっとうな心の持ち方」を持って繋がっているように思えて素敵でした。もちろん相手を思い遣る優しさも。かと言っても、当然ずっと磐石な訳では無く、昔には太一郎と多恵の仲が壊れかけたり、これから先も何があるかはわからないけど、そんなことはどこの家族ともみな同じですよね。恐らく家族をめぐる問題はきっとずっと宮部さんのテーマになってゆくのではないかなと考えてます。

 利発なおりんちゃんをはじめ登場人物達(お化け含む)がまたまた皆魅力的ですよね。特にお化けのみなさま、秀逸です。玄之介さまは素敵だし、おみつさんは格好いいし、笑い坊の偏屈加減はいい味だし、おどろ髪の朴訥さには胸打たれます。そしてお梅ちゃん。お梅ちゃんはおりんちゃんの合わせ鏡の存在のように思えました。すなわち、おりんの姿にいままで気づかなかったもう一人の自分を見い出し、環境、待遇が入れ代われば双児のように成り変わってしまう二人ではないかと思ったのではないでしょうか。だから、お梅ちゃんは複雑な思いでおりんちゃんを見ていたのではないでしょうか。

 その現れが「あかんべえ」。だって本当に嫌いな相手は避けるとか無視するとかして近寄りませんよね(攻撃するのは別として)。おりんだって(多分自分の知らないうちに気にいっている)ヒネ勝に「あっかんべえ」しますものね。お梅ちゃんはきっとヒネ勝のことが好きだったんだと思いました。そこにいままで気づかなかったもう一人の自分のようなおりんが登場しちゃったら、そりゃあ複雑なんじゃないでしょうか。自分は彼と生きてはいけないのだし(しかし、これじゃまるで大人の話だなあ、うーん)。お梅ちゃんはきっとずっと「お父」を待ってた。お父と一緒に旅立つつもりだったんだと思います。ヒネ勝のことはもう一人の自分のおりんちゃんに任せて。あの世へ旅立つお梅の最後の「あっかんべえ」には、これからもこの世で生きていくヒネ勝やおりんたちへの色々な切ない想いやエールの意味が込められていたのではないかと思います。
 
 だけどお梅ちゃんは本当に心優しい女の子ですよね。自分を死に追い込んだ「お父」を許し、仏さまのもとへ一緒に旅立とうとするのですから。お梅ちゃん自身が仏さまみたいです(お梅ちゃんのことを考えると昨今報道される胸塞がれるような児童虐待のことが頭をかすめてしまいます)。おりんちゃんとお梅ちゃんは生と死の世界に別れた双児ともいえる存在と私は思っているので、この二人の環境の違いを思うとお梅ちゃんはおゆうのようにおりんちゃんを恨んでもおかしくないはずなのに(果ては銀次のように)、彼女はただおりんに対して「あかんべえ」をするだけ。そう考えるとこの「あかんべえ」はとても切ないです。先程仏さまみたいと言ったけれど「あかんべえ」にはとても人間らしいお梅ちゃんの心が現れているようにも思えます。

 おさきさんの過去が明かにされていませんが、私は太一郎さんに横恋慕したおつたさんの将来がおさきさんなんじゃないかなと何となく考えてます。なんかSF的な表現になりますけどね。七兵衛のように健全な人とおさきさんのように暗い過去を秘めた人が夫婦になってるなんて面白いですね。宮部さんはどちらにも温かい視線を投げかけているようです。両方がいるからきっといいんですね。でも実をいうと闇を見てそれを乗り越えたおさきさんの方が芯は強いのではないかと密かに考えたりしてます。
 
 読み終えてから、以前に皆様が掲示板に書き込まれたものを拝見させてもらったんですが、三途の川に行く前のおりんが何故お梅ちゃんを見られたのかという設問がありましたよね。おりんとお梅は表と裏ってことで納得できなくもないけど他にも私なりに考えてみました。あの時にはおりんは真実を知らないということなんだけど、記憶というものは意識には上ってこないが、胎児の頃からもう残っているという説を聞いたことがあるんです。だから無意識ではおりんは自分がもらわれっ子だと知っている。お梅ちゃんはそれを読んだんじゃないかなあと。お化け達はみなおりんの考えることが分かったりしてましたよね。しかし、やっぱりこの説はうがちすぎのような気がしますね(笑)。お遊び半分ってことでどうぞご笑納くださいませ。


風さんのコメント 03/06/02
 RXY04773@nifty.ne.jp


 宮部さんの『あかんべえ』(PHP)について簡単に感想を語ってみます。

 主人公のおりんと、ふね屋に出るお化けさんたちが話をしながら心を通わせていくところ。玄之介との、どこかユーモラスな会話。くすりとさせられたり、からりと明るい心持ちにさせられました。いい匂いのする綺麗な姐さんのおみつが、おりんのことを優しく見守っている姿や、おりんがおみつに憧れにも似た気持ちを抱いている姿なんかも、良かったなあ。

 おりんが、はなからお化けさんたちを邪魔っけだと拒絶してしまうんじゃなしに、彼らに自分の悩みを相談したり、一緒になって謎を解き明かそうとしたり、そんな風に彼らと気持ちを通わせ合っていくんですよね。おりんの心の真っ直ぐで生き生きとしたところ、相手の身になって思いやるところ、とても清々しいものを感じました。

 おりんが、お母ちゃんの多恵のところに添い寝に行く場面がありました。あそこの場面では、思わずほろりとしてしまった。疎外感をひっそりと抱いている人間。そのさびしい気持ちを酌んで、励まそうと思いやる気持ち。心を打たれました。

 お化けに注ぐ作者のあたたかな眼差しが、またとってもいいんです。宮部さんが、お化けたちのどことなくさびしそうな風情や、彼らが心に抱いている疎外感をうまーくすくい上げて、心をこめて描いていらっしゃる。なんかこう、しんみりしてしまいました。



『あやし〜怪〜』等について

とむ影さんのコメント 00/09/11
 GZF00756@nifty.com
 http://homepage2.nifty.com/tomkage/
 「海の底の昼下がり」 宮部作品をはじめ様々なジャンルの本の書評があります。

 『あやし〜怪〜』についてのやまももさんの感想も読ませていただきました。キーワードは「鬼」なんですね……人が変じた鬼であるから、人との関わりも、ただ怖い、ただ退治しなくちゃ、というようなものではない。人の心を残している鬼なら、その気持ちが、あるいは巻き込まれた人々の見る鬼の姿が、そして、鬼を見ない人のことも、書かれています。

 鬼が見えない人というのは、人間の世界にいない人、なのかしら?すでに殺伐とした世界に住む人は、鬼は見えない。鬼と対比される人間のやわらかな部分がないから。大人になってしまった人には見えないし、楽しいことを経験したことのない人にも、見えない。あ、「鬼」って怖いもの。怖いものがないひとには、「鬼」は見えなくてあたりまえなのかもしれません。もしかしたら、本当の極悪人にも、鬼は見えないかも知れませんね。見えているんだけど、怖くない。鬼と認識できない。

 どれもおもしろかったですが、なかでも「居眠り心中」がよかったですね。その他に「安達家の鬼」、「時雨鬼」もおもしろかったです。



『R.P.G.』等について
『R.P.G』の特設ページを設けまし。
HKさん、にこさん、S.Tさん、野垣スズメさん、ATUKAさんのコメントがあります。


『火車』等について
『火車』の特設ページを設けました。
氷神敬吾さん、深山さん、みづれさん、レベル9さん、DJ響さん、
ちゃくさん、クマタツさんのコメントがあります。


『蒲生邸事件』等について
『蒲生邸事件』の特設ページを設けました。
宮の森ぱんつさん、みづれさん、高瀬雅俊さん、Kinoさん、わたこさんのコメントがあります。


『堪忍箱』等について

ATUKAさんのコメント  
01/11/19
 a-tsukamoto@mqc.biglobe.ne.jp

 『堪忍箱』所収の全短篇についてコメントさせてもらいます。なお、文章中に若干ネタバレもありますので、未読の方はご注意下さい。

「堪忍箱」(文章中若干ネタバレ)
 表題作の短篇「堪忍箱」は謎の多い話でした。結局この話はどういうことだったのでしょう。
 堪忍箱の正体は? 
 箱のことで、お駒の家族が、皆、意味深な行動をとっていたのはなぜか?
 中には何が入っていたのか? 
 箱についてのお駒の憶測はどこまで正しいのか? 
 最後にお駒はなぜ行灯を倒してしまったのか?
 全ては明らかにされないままです。でも、○○はどういうことだったのだろう? と、後から考えるのもまた楽しいものです。結局、筆者のねらいもその辺のところにあったのかもしれません。読んだ人が読後に想像をめぐらせていろいろ考える、そういう楽しさを提供する目的の作品なのでは、と思います。それにしても僕も主人公が行灯を倒してしまったことは大きな疑問だったのですが、もう1つの関心事として、箱の中には何が入っていたのでしょうか?

「かどわかし」(若干ネタバレ)
 ラストにおいて、主人公の箕吉が小一郎少年の心境を確認出来ないまま話しは終わってしまいます。これも表題作の「堪忍箱」のように読んだ人の想像力を掻き立てられます。

「敵持ち」
 予想されたことですが、最後にどんでんがえしが有り、ミステリー的楽しさが味わえる作品でした。人間の内面描写に重点を置いている他の作品群とは違う趣があり、全体の構成から考えていいアクセントになっていたように思いました。

「十六夜髑髏」
 表題作以上にホラー色の濃い作品でした。それにしてもこういう作品読むと、本当にコワイのは、もののけや妖怪等ではなく、人間ではないかと、つくづく思ってしまいます。

「お墓の下まで」
 一言でいうと「人は誰でも他人には言えない秘密がある」ということなのでしょうか。また、一番大変な秘密を持っていたのが意外な人物だったので、それには驚かされました。

「謀りごと」
 話しの設定から、米映画「ハリーの災難」(A・ヒッチコック監督、S・マクレーン主演)を思い出して嬉しくなってしまいました。さて、この渦中の人物黒兵衛ですが、どうやら色々な一面を持った人物だったようです。このような多面性をもった人は現代の世の中にも大勢いらっしゃるのではないでしょうか。また長屋の住人にも様々な人物が居て、それも興味深かったです。

「てんびんばかり」(文章後半若干ネタバレ)
 自分と他人を比較してひがんだり優越感を持ったりすることは、多分だれにでもあることと思われますが、それにしても"語り"の主人公お吉の心理描写には随分とリアリティがありました。それと作品の形式上の観点からすると、"語られる"側のお美代は「火車」の新城喬子であり「ぼんくら」の湊屋総右衛門だと言える気がしますが、ついに出てこないまま終わってしまったのにはびっくり。またこの話しは、設定を裏返しにして、お美代の視点でお吉を全く登場させないで綴っていくことも多分可能だと思いました。

「砂村新田」
 何やら山本周五郎作品のような雰囲気がありました。読後の爽やかさではこれらの作品群では一番だと思います。最後に相応しい作品だと思いました。

 それと「子供の視点」で語る利点、すなわち子どもゆえの情報量、経験の少なさや思考の限界が良く活かされていたように思います。主人公の少女も市太郎という人物を知るには情報が少なすぎました。その与えられた情報も大人であれば、様々なニュアンスで考察もしたことでしょう。しかし、少女のお春の場合は、表面の言葉どおりの意味しか見い出せません。「なにしろ相手は『ろくでもない』のだから。」等というところはそれを端的に表していると思います。また、こういう「子供の視点で綴る」設定になっているからこそ、読み手は主人公と一緒にハラハラしたりやきもきしたりが出来るのだと思います。さらに、このような健気な少女が主人公の場合、善良?な読み手は余計に感情移入がしやすくなるという効果もあると思います。当たり前のことですが、主人公が探偵小説の探偵のような思考能力を持っていたら、この作品は成り立たないでしょうね。


『クロスファイア』等について
『クロスファイア』特設ページを設けました。
ゆぴ1号/白井武志さん、
yu-takoさん、Shiroさん、AKIさん、
NANAさん、Kinoさん、谷やんさんのコメントがあります。


『幻色江戸ごよみ』等について

南川純平さんのコメント  00/07/09
 

 「幻色江戸ごよみ」で宮部みゆきが文体の実験をしているという、やまももさんの説には思わず膝ポンでしたね。
 宮部みゆきの素晴らしさは、毎回、かなり困難な課題を設定し、それに挑戦しかなりの確率でその課題をクリアしているという事です。直木賞作品「理由」を読んだときにそう感じました。「火車」の時の宮部みゆきとは大違いでした。成長し続ける作家の代表ですね。


yueさんのコメント 00/08/25
 

 昨日、「幻色江戸ごよみ」を購入し、読了致しました。

 特に、印象に残ったのは、第2話「紅の玉」第4話「器量のぞみ」第9話「首吊りご本尊様」第10話「神無月」第12話「紙吹雪」でしょうか。「紅の玉」は理不尽な運命に押し流される、その残酷さに。「器量のぞみ」はあたかも、御伽噺の如き、ユーモアと奥深さに。「首吊りご本尊様」では、その着想の斬新さに。「神無月」は構成の妙味に。「紙吹雪」は、映像が心に響いて来るような悲しいまでの美しさに。其々感心致しました。

 一つ、スティーヴン・キングとの関連で書かせて頂きたい事が有ります。キングの著作での素晴らしい点として、構成の妙が挙げられると思います。例えば、彼のそれまでの集大成である「IT」における構成は、現在と27年前の過去とを、自在に行き来し、更に、違和感を全く感じさせないという、傑出した物でした。他にも、登場人物各々の視点が淀みなく変化して行く、といった物も有ります。

 今回読んだ中で「神無月」の、そういった巧みな構成力にキングとの類似点を感じさせられました。


ちゃくさんのコメント  01/03/27
  http://www.ne.jp/asahi/chmpm/chbk-y/index.htm
 
 「Champam」鑑賞した映画の紹介・感想とエッセイのHPです。

 「幻色江戸ごよみ」を読んでいつになくおセンチになってしまいました。人と人との繋がりが、形こそ変えてるけど昔も今もそれほど変わってない、この世にいる全ての人々を捕らえて話さない因果が切々と語られているようで…。舞台を現代に変えてもドラマになりうるストーリーに私、センチメンタルの渦にハマってしまったのであります。

 江戸と言えばなんだか「粋」で口が悪くとも情には厚いってイメージが私なりにありました。なお、私が描いてた江戸の「粋」とは、汗水流す毎日の辛さを乗り越える為、大見栄切って大口を叩き、男も女も気前良く、派手に着飾って普段の苦労なんて屁でもないんだよ!といったイメージと重なるものなんですが。

 「幻色江戸ごよみ」の中にもそういう人々は見受けられましたが、完全に脇役に徹している。粋だの情だのだけでは生きられない、守れない人達が主人公。私が描いてた江戸風情の都合の良さなど無く。

 第五話の「庄助の夜着」では自ら幽霊を呼んでしまった庄助。第六話の「だるま猫」では最期まで自分の臆病さから逃げることができなった角蔵。第十話の「神無月」では心で神様に申し訳なさを秘める男。特に「神無月」では幼い娘を想う親心と、「神が見てはいないが…」と言った感情が深く入り乱れて正に「幻色」となったのではと感じるたのでした。そんな所へ「情」や「粋」が入る隙などありませんでした。剥き出しの人間、何かしら恐れを持つ人間だからこそ、ホラーが活きたのではと思います。


『心とろかすような マサの事件簿』等について

ゆいさんのコメント 00/09/22

 この夏休み期間、宮部みゆき作品は『蒲生邸事件』と『パーフェクトブルー』、『心とろかすような マサの事件簿』を読みましたが、いずれも内容があって大変おもしろい作品でした。特に『蒲生邸事件』はテレビ放送を先に見ていたのですが、原作もテレビもともによかったように思いました。

 マサの事件簿シリーズは、人間の視点ではなく、犬の視点から描かれているところが新鮮でした。犬のマサは、他の動物との会話から手がかりを得て推理していくんですね。動物たちには各々の生活があって、絶えず人間を見ているんですが、私自身が普段とは逆の立場を経験した様に思いまた。自分の息子の名誉を守るためにとか、人間の恨みが動物に向けられたりしていて、両作品とも人間の汚さが出ていて、そんなところは怖かったですね。

 ところで、『心とろかすような マサの事件簿』の最後の短編「マサの弁明」には、宮部みゆきという小説家が出てきて煙草を吸う場面がありますが、実際の宮部みゆきさんも喫煙者さんなのでしょうか? 想像が膨らみました。

 私は小学生の頃、犬に噛まれた経験がありますので、少々犬は苦手ですが、マサは老犬とはいえ、大変尊敬できる犬だと思いました。マサがいると安心できるんだけどなぁ・・・。


『今夜は眠れない』等について
『今夜は眠れない』 『夢にも思わない』特設ページを設けました。
 まあぼさん、yoshirさん、ちゃくさん、野垣スズメさん、みんすくさん、わたこさんのコメントがあります。


『ステップファザー・ステップ』等について
ステップファザー・ステップ』の特設ページを設けまし。
まゆさん、ちゃくさんのコメントがあります。
また、この小説の続編シリーズ「バッド・カンパニー」についての風太さんの紹介文もあります。



『スナーク狩り』等について
『スナーク狩り』の特設ページを設けまし。
あっき〜さん、タカさん、Kinoさん、ようさんのコメントがあります。



『地下街の雨』等について

フク/福田 洋さんのコメント   00/08/17
 http://www.h4.dion.ne.jp/~fukuda/
 「UNCHARTED SPACE」  ミステリとCMの個人サイトで宮部作品のコメントもありま。

  「地下街の雨」は、ジャンルにこだわらずエンタテインメントを追求する宮部さんらしく、本作もミステリ、恋愛、SF、ホラーと様々なテイストの短編から成る。

  例えばミステリであれば、犯罪やちょっとした謎。恋愛小説であれば、男女の様子。SFであれば奇抜な設定。そしてホラーであれば、宙吊りにするような超自然現象。そういった下敷きとなる作品観について、宮部さんはどの分野に出張しても、きちんと押さえるべき部分を押さえる。この点だけを取れば、あくまで小説のテクニックの一つであり、知識を増やして技術を磨けば、多少のセンスさえ持ち合わせていれば誰でも到達出来るものと思う。

  宮部小説が人気を博しているのは、やはりこれらのしっかりした土壌の上に、「人」の持つ様々な感情をきちんとしっかりと誰にでも伝わるように描くことが出来る「巧さ」を兼ね備えているからだ、と感じる。本書で言うなら『地下街の雨』の主人公の戸惑い。『勝ち逃げ』の主人公の気持ちの揺れ具合。『ムクロバラ』での得体の知れない狂気。他の作品でも、登場人物それぞれが、小説上でありながらきちんと「一個の人間」として頁の上を動いている。登場人物の気持ちは、主人公でなくとも、別に感情移入をしなくとも「ああ、こうだろうな」と余すことなく伝わってくるのだ。簡単なようで、全ての作品において、きちんと表現をパーフェクトに持ち込むあたり、さりげなすぎる宮部みゆきの凄さだろう。もしかすると、宮部さんは「日本人の最大公約数」なのかもしれない。

  代表作として挙げられることはあまりない短編集だが、やはり水準をきちんとクリアしている。宮部ファンでなくとも読んで悪く言う人はいないのではないだろうか。



あつこさんのコメント  03/07/04

 短編集『地下街の雨』を初めて読んだとき、非常なショックを受けました。この短編集の中のどの話も、繊細さや、様々な差別・偏見に対する痛みを真摯に扱ってきた宮部作品とはとても思えない論旨や展開の乱暴さ、安易さが随所に見られたからです。

 私が面白く読めたのは、この中では『ムクロバラ』だけでした。あと覚えている限りでも、表題作の『地下街の雨』と、『勝ち逃げ』『さよなら、キリハラさん』に対しては、上に述べたような痛烈な違和感を感じました。それで、今回は短編「地下街の雨」に絞って私がどのように思ったかを詳しく書いてみたいと思います。なお、ネタバレがありますので、注意して下さい。

 短編「地下街の雨」のあらすじはつぎのようなものです。一方的に婚約破棄されて深く傷ついた女性が主人公で、同じ傷を負った風な女性と親しくなるが、全くの誤解から彼女にひどく嫌悪されてしまう。誤解の元となった同僚の男性と協力して、彼女の誤解を何とか解こうと連日相談しあううちに、主人公は同僚と恋人同士になる。後に、実はこの女性をめぐる騒動は初めから全て仕組まれた芝居であり、主人公を悲しみから救うために、もともと親しかった同僚と女性が企てたものであったことが判る。主人公は、同僚(恋人)の自分を思う気持ちに胸打たれる。

 私には、この「女性をめぐる騒動は全て荒療治のためだった」という仕掛けが、どうにも受け容れがたいのです。他人から突然激しく、いわれもなく憎悪される、それを直接ぶつけられる、というのは、ショックなことです。いくら「もともとの苦しみから救うために」ついた嘘だと言っても、正当化できるようなことではないと思います。むしろひどい。溺れている人に鉄の浮き輪を投げる様なものです。

 女性の激怒の仕方がまた物凄く描かれていました。お互い振られたもの同士だと思っていたのに、あんた男がいたのね、私のこと陰で馬鹿にしてたのね、と凄まじい形相で睨みつけられたとか、ものすごい敵意をぶつけられたという内容だったと思います。それも、主人公が同僚の男性からちょっと挨拶をされただけで。私なら、この時受けた傷がやらせのせいだと知った時、主人公のように愛情の再確認、という方向にはとても行けそうにありません。

 宮部さんの作品には、他人をひどく傷つける残酷な描写が少なからず出てきますが、それらは決して、単に盛り上げるための刺激として描きっぱなしにされているのではなく、どうしても必要で置かれていて、さらに登場人物をその傷と正面から向き合わせて、傷を乗り越えていく過程まで丁寧に扱っていますよね。

 それがこの「地下街の雨」に限っては、そういう恐怖や痛みが単に「ちょっといい話」で片付けられているところが、あまりに杜撰だと思ったのです。あああ、本当に宮部作品とは思えないんです〜。ご、ごめんなさい。ちょっと悲しくなってきちゃいました(;;) 宮部すごい好きなのに、なんで!?



『天狗風』等について

にこさんのコメント   01/10/11
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/index2.html
 「本の数珠つなぎ」 読書のHPで宮部みゆきのコーナーもあります


 『天狗風』で私が気になった登場人物は、お玉と多吉と真咲です。

1.お玉
 お玉は、いつも姉のお律がうらやましくて憎かった。姉妹は必ずしも仲がいいとは限らない。そして、お律が神隠しに遭ったときにひどいことを思ってしまった。私は兄弟がいないのでこういう気持ちはわからないけれど、小学校の時、お兄さんやお姉さんと比較されている同級生が何人かいたのを思い出しました。今から思うと、大変だったんだろうと思いました。

2.多吉
 多吉は、世の中の全てが憎かった。それは、不公平だから。「お静は優しくて立派な人だったのに、何であんなことに? それに比べて、周りの人たちは……」。だから、あんなことをしてしまった。こんな理屈はめちゃくちゃだけれど。

3.真咲
 真咲は美しかった。でも、……。だから、「器量のぞみ」(「幻色江戸ごよみ」)のお信さんとは対照的なことになってしまいました。一番印象に残ったせりふはこれです。

「わたしはこんなに美しいのに!」  (講談社文庫 p556)

 3人とも共通していたのは、誰もが持っている「妬む心」が強かったことです。そして、お初さんも今回は苦戦しました。お初さんでも少しは「妬む心」を持っていたからでしょうか。もしかしたら、『天狗風』は『模倣犯』以上に「悪」を描いた作品かもしれません。しかし、読み終わっても全然後味が悪くないのは、お初さんと鉄のやりとりなどがおもしろすぎるからですね。



ミキさんのコメント  01/10/18
 

 『天狗風』を読みましたが、とても面白かったです。前作の『震える岩』は右京之介がお初ちゃんのパートナーという感じでしたが、今回は鉄にもっていかれちゃってましたね。鉄とお初のやり取りはこの作品の魅力のひとつだと思います。でも右京之介も前作より何だか男らしくなったように感じました。

 この作品は、美しさに執着する「女の妄念」や、誰の心にもある嫉妬心を描いているのだと思います。宮部さんの作品は、他にも『火車』のように女性の心理に焦点をあてたものがわりと多いですね。

 お初自身も、自分の心の中にある美しいものへの嫉妬心を指摘され戸惑います。そのピンチを救うのが「たとえばこんな眼鏡をかけていても、私にはお初どのがいちばん美しく見えます」という右京之介の言葉(と鉄!)なのですが、「至上の美」とは何かを彼に言わせたあたり、上手いなあと思ってしまいました。彼の素朴で誠実な人柄とお初への思いが「本当に美しいもの」などという、口にするときざで嘘くさくなってしまうものをすんなり受け止めさせてくれます。

 宮部さんはとにかくオールマイティに上手い作家だと思います!!



『東京下町殺人暮色』等について

タカさんのコメント 00/12/28

 「東京下町殺人暮色」は、他の宮部作品と同様、和やかな雰囲気が伝わってくるものがあると思いました。それに一役買っているのが、主人公八木沢順と彼をめぐる他の人々との交流にあるのではないかと思います。友人の後藤慎吾とのかけあいや、家政婦幸田ハナの順に対する孫のような接し方等々、いろいろな場面で見受けられますよね。

 それから、共同体が変化の波にもまれている東京の下町において、「そのなかで、周囲の人々に支えられつつ、この生きにくい街とともに、『そこに住み、そこで仕事をし、そこで成長する』であろう主人公・順は、宮部みゆきが作中に設けた人間性回復の回路でもある」と光文社文庫解説が指摘していますが、私も同じような想いを持ちました。

 また、登場人物の造形やそのエピソードも見逃せないと思います。例えば、順の同級生である大木毅はチェーンレターを叱られたことを逆恨みして悪質な噂を流しますが、これは他人の痛みを理解できない人、つまり想像力のない世代の代表として描かれています。そして、それと対照的な人物として描かれているのが慎吾です。彼は、普段は明るくて兄貴分の貫禄も漂う中学生ですが、毅の態度に本気で怒り殴りかかろうとします。彼は、他人のことを思いやれる人として描かれています。このような人物造形とそのエピソードの積み重ねがこの作品のテーマをより印象的にしていると思いました。


みのむしさんのコメント 02/07/18
 

 宮部みゆきを文庫本で再読中ですが、それぞれ二度ずつ読み、さらに登場人物一覧を作ったりあらすじをまとめたりしているので、なかなか先へ進めないでいます。現在4冊目の「東京下町殺人暮色」まできました。で、この本を読んで思ったことを書いてみたいと思います。

 たくさん映画の題名が出てくるので、読みながらメモしていました。で、こちらで発表しようと思ったら・・・既にやまももさんがやっておられました(笑)。それにしても宮部さんの映画の知識はすごいですね。作品中でも映画が効果的に生かされています。たとえば、主人公の順は中学生で、戦争を知らない子供ですが、彼が画家の東吾から東京大空襲の話を聞いたときに少しでもその有り様を想像しようとして思い浮かべるのが、「風が吹くとき」「ポンペイ最後の日」という映画であったりします。

 で、映画といえば、最近こちらでもその話題でもちきりの、「模倣犯」。実は、今回この「東京下町殺人暮色」を読みながら、「模倣犯」を思い出した箇所がいくつかありました。

 まず、物語の最初のほう(光文社文庫、p.17)、順は家政婦のハナからある噂について教えられますが、それを聞いて「なんか、『コレクター』みたいな話だね」と言います。「コレクター」も映画で、「親の遺産を相続して一人暮らしをしている若い男が、若い女性を「採集」してきては監禁するという話」と書かれています。あれ、どっかで聞いたような・・・。そう、これってちょっと「模倣犯」に似てますよね? この映画が「模倣犯」に影響を与えたのかどうか、「コレクター」を見てみればいいのですけど、どうも怖い映画みたいなので、ちょっと確かめられない・・・(^_^;)スミマセン。

 もう一箇所「模倣犯」を思い出したのは、p.253の次の言葉です。「人間は、死ねば腐るし、においもする。それまでの美しい、愛すべき顔はどこかにいってしまう。殺人が大罪であるのは、人をそんな姿に変えてしまう権利など、誰も持っていないからだ。」これ、映画「模倣犯」の宣伝コピーにもなった「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いに対する、ひとつの答えだと言えるなあ・・・って思ったんです。

 そもそも、複数の若い女性のバラバラ殺人、という設定からして「東京下町殺人暮色」と「模倣犯」って共通してますよね。「模倣犯」を考えるとき、けっこうおもしろい存在の作品かもしれません。 

クマタツさんのコメント  2011/09/29
  「わたしのブログ」
   http://plaza.rakuten.co.jp/kumatake123/
    休日は農業の真似事・コーラスの練習・ドライブ・歩き・孫 等を楽しんでおられます。


  私は、このところ何か面白い本や作家はいないかと探していた。そこに、このところブログを通じて行き来のあるやまももさんの「やまももの部屋」から「私の宮部みゆき論」に行き着いた。詳しくは読んでいないが、その入れ込みようは半端ではない。なにか面白そうだと思い、「東京下町殺人暮色」を買ってきた。

 物語は主人公である中学1年の八木沢順少年とその父親で警視庁捜査一課の刑事 道雄を中心に展開するミステリー小説である。私は筋こそミステリーであるが、単なるそれではなくて、立派な文学作品だと思った。

 その親子に「日本画壇の異端児・異色の作風」の日本画家 篠田東吾と八木沢家の家政婦 ハナがからんで物語は展開していく。

 私は読みながら主筋はもちろんだが、順少年(因みに我が娘の長男が中一であるので比較しながら読み進んだのだが・・・)とおじいちゃん・おばあちゃんにあたる年齢の東吾とハナとの色々なからみや会話は大いに楽しむことが出来た。

 たとえばこうだ。秘密めいた東吾の自宅に順が入り込んだはじめて日の会話で、順が言う「『・・・裏庭をスコップで掘っている東吾さんをー』順はあわてて訂正した『すみません。篠田さんです』『東吾でいいよ。それが私の名前だから』その声音はやさしかった。頭をなでられたような気がした」
そのような出会いから始まった二人の関係はまわりから敬遠されているようで、秘密めいた東吾であるにもかかわらず、その後もおじいちゃんと孫のような関係が続く。

 もう一人の家政婦ハナとはもっと密接な関係である。仕事柄いつも家にいない父親はそれがもとで、順の母親である妻とは離婚しているので、順の全てをみていると言っても過言ではない。

 順も実際それが好きなこともあって、白菜の漬物のやりかたや、躾までもなされていて、よその家に行ったときも座布団の扱いまで出来てびっくりされるほどだ。

 ハナは順を「ぼっちゃま」とよんでいるのだが、あるとき順にこのように語りかける。

 「・・・人は誰でも武装するものだ、ということでございます。ただ何で武装するかは、その人によって違います。鎧を着る人もいれば、鉄砲を持つ人もいます。・・・そして、どう武装しているかによって歩く場所も違ってまいります」

 優しい声だった。私はまるで本当のおばあちゃんの教えみたいに感じた。


 そしてこのハナのことを読みながら、一つ思い出したことがあった。

 私は4年間の学生時代延べで10人くらいの子供たちの家庭教師をやったのだが、その中にハナとどこか共通する人がいたのを思い出した。
 
 そのご家庭は両親ともお医者さんだったが、私の教えた子供さんは小学生で中学年だったと思う。当時としては、珍しいいわば共稼ぎの家庭だったので、子供さんは、ほとんど住み込みのお手伝いさんに任されていたようだ。

 そのお手伝いさんは、明治維新の元勲の、或る一人のお孫さんということで、わけがあり、その仕事をされていたようだった。その子供さんの父親は単身赴任をされており、母親は帰りが遅いので、私も夕飯のご相伴にあずかることも多く、そのお手伝いさんともよく話をしたものだった。教養もあり、子供の両親が頼りきって子供をまかされるのが分る気がした。話はとんでもなく飛躍してしまった。

 ストーリーは最後の方でめまぐるしく展開して、息もつかずに読み終えた。意外性もあったが、何かホッとするところがあり、余韻を楽しむことが出来た。おっと 危ないこれぐらいにしておこう!

 宮部みゆきの次の本も用意した。「火車」である。また楽しみが一つ増えた。



『ドリームバスター』等について
『ドリームバスター』の特設ページを設けまし。
にこさん、りょうさん、テハヌーさん、りりもんさんのコメントがあります。


『とり残されて』等について

風太さんのコメント  01/01/04
 http://homepage2.nifty.com/time-tunnel/
 「タイムトンネル」 風太さんとお嬢さんとで運営する読書サイト



 宮部さんが大好きで、作品のほとんどは読みました。読み始めてもう8年ほどになります。今回は「とり残されて」について「スナーク狩り」と関連させてコメントさせてもらいます。

  「スナーク狩り」を読んだのは結構前のことですが、そのときは心情的には「復讐」に肩入れしたくなり、つい「そうだ、こんな悪い奴やっつけちゃえ」と応援してしまいました。そんな自分の心を今見つめてみると、ちょっと恐い気がします。「悪い奴だから罰せられて当然」という気持ちは、一歩間違えば「正義」の名のもとに他者を排除する、私刑や魔女狩りに通じてしまうのではないかと。

 ただそうすると、罰することを司直の手にゆだねた後、それでも残る無念の気持ちはどうすればいいのでしょうか。それを考えるとき「とり残されて」を思い出します。

 「とり残されて」は、婚約者を未成年の不注意運転で喪った女性が、加害者に対しどうしても消せない憎悪と殺意を抱いてしまい、そのような彼女の強い負の感情が別の人物の過去に残してきた同じような強い思いを揺り起こしてしまうという話です。事件の後、彼女は今度は自分の強い「思い」を揺り起こし、暗い願望をかなえてもらえる場所を探して歩き始めることになります。

 行き場のない彼女の負の思いが、もう一つの思念を呼び覚ましたということが、とても哀しく切ないですね。また、彼女のそんな「思い」はここでは浄化されずに終わっています。彼女の強い負の感情が引き起こした事件により、あの激しい「思い」が解放されることを期待していた私にとって、ラストもまたなんとも切なく哀しいものがありました。

 昨今被害者の人権や遺族の心のケアが問題になっていますが、難しい問題だと思います。



ヨシさんのコメント 02/10/30
 

 私が最初に読んだ宮部作品は短編集『とり残されて』でした。しかし、残念ながらその時はよさがわからず、一度手放してしまいました。今思えば、『とり残されて』を最初に読んだ時は、宮部作品の厳しさに顔を叩かれたようになり、反発したのかもしれません。その後、その時点で出版されていた他の宮部作品を全部読み終えてから、再びこの短編集を手に入れ、読み直しました。自分がどう感じるか少しわくわくしながら。読んでみると、思った以上に深く感動したのを憶えています。

 今回、表題作「とり残されて」を再び読み直し、また風太さんのコメントも改めて読ませていただきました。

《 以下からは作品の内容に触れています。未読の方はご注意ください!》

 私が当初感じた「厳しさ」について、やまももさんが「人間の負の感情の重さ、執拗さを提示しているところにも感じられたのかもしれませんね」とご指摘くださったように、どうにもやり場のない悲しみにやはり胸を打たれました。昨今はこういうことを「痛い」と表現するようですが、まさに痛い話であると思います。ですが、今回もう一度読み返してみて、少し別の感想も抱きました。

 物語は、婚約者を殺され拭えない殺意と憎しみを心に抱えた主人公の「わたし」が、同じような思いを過去にとり残してきた相川刑事という人の心に共振することによって起きた話で、描写もこの二人を中心に描かれています。

 相川刑事が九歳のときにとり残しできた強い思念は、「わたし」の魂と共振し、実態を勝ちとり、二十年前から抱いていた願望を果たしました。しかし、相川刑事は「僕は忘れてたんですよ。昔、二人の先生を殺してやりたいほど憎んでいたことなんか、すっかり忘れてた。二十年も前の話ですからね。それがなぜ、今になって蒸し返されてるのか。しかも、あなたというまったくの部外者を巻き込んで、ね。その理由がわからない」と言っています。これは嘘ではないと思います。だとすると、忘れたつもりでいても心の奥底に残っていたということなんでしょうか。

 私にはひとつ気になることがあります。それは殺された(?)今崎夫婦のことです。彼らの心には、相川少年を閉じ込め、汚い手でそれを隠したという事実は欠片も残っていなかったのでしょうか。物語の中では、二人については過去のことでしか語られていませんが、学校へ来てしまったという事実が、相川少年の強い思念に引き摺られるだけの「よすが」があったことの証拠のような気がしてなりません。それは「神の裁き」というようなものではなく、あくまでも今崎先生、伊藤先生が自らのなかに持ち続けてきたものです。償わなければ、などという殊勝な気持ちがあったとは思えませんが、意志に関係なく何か消せない「とり残されたもの」が彼らの中にもあり、それが呼び覚まされた話でもあるのではないかと。

 | 余談ですが、そう考えていくと、心であっても身体であっても、
 |人を傷つけるということは本当に恐ろしいことですね。
 | 「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問をする子供が増え
 |たと聞きますが、間違っても「法律で決まっているからよ」などと
 |は答えまいと思いました。まるで「おばさんに恐い顔されるからや
 |めなさい」と言って子供を大人しくさせるのと同じくらい、本質を
 |履き違えた台詞ですね。

 一方、主人公の「わたし」の方はどうでしょうか。「わたし」の婚約者を自動車事故で殺した「彼女」はどうしようもなく心無い人物に思われ、主人公の「わたし」から見ると最悪の相手であるといえます。相川刑事に起ったように、強い思念がもし現実を動かすのだとしたら、やはりその思念(=とり残された自分)を「わたし」が見つけ出したくなるその気持ちがよく分かるような気がしました。

 ラストの主人公は道をみつけて生き生きとしているようにさえ感じられます。そのエネルギーは間違いなく負のエネルギーであり、行き着くところは殺意であるのに、です。最初に読んだ時、私はこのラストに薄気味悪さを感じたことを白状します。やまももさんの洞察は非常に的を射たものであったと感じます。私は、冒頭のシーンでは可哀相だと同情し、すっかり感情移入し、殺したくなる気持ちも分かるなどど思っていました。しかし、主人公の「わたし」が暗い願望から生きる活路を見い出し強くなり始めた途端、読者の私は後ずさりしたくなったんですね。

 相川刑事は主人公の殺意という媒体を得て、結果的に過去の念いを遂げましたが、主人公は「わたし」自身で探しに行こうとします。たったひとりで。私にはそれが一番堪えました。

 私は殺意を肯定するものではありませんが、この後の書かれていない物語の中で、主人公の「わたし」が殺意を抱いてしまう気持ちを否定せず、受け入れた上で、彼女の憎しみという苦しみから目を逸らさず、彼女が忘れるのではなく赦すことができるまでずっと見守り、ともに生きてくれるような人が現れればいいなぁと思いました。



『長い長い殺人』等について

さとしさんのコメント   00/04/09
 

 僕は宮部ファンになって未だ1年しかたっておらず、全ての本を読んだわけでは無いのですが、宮部みゆきの作品はどれもすばらしいと思います。特に好きなのは『長い長い殺人』です。これは主人公がおらず、財布を語り部とした今までに無い作品でした。『パーフェクトブルー』では愛犬マサを語り部にしていましたが、『長い長い殺人』は、財布の持ち主がそれぞれが違うにもかかわらず、長編としてストーリーがしっかりと一本につながっているし、読んでいて飽きがこない、また「現代社会おけるマスコミというものの力」などについて鋭い視点で衝いているすばらしい作品だとおもいます。

にこさんのコメント   01/07/02
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/niko/index2.html
 「本の数珠つなぎ」 読書のHPで宮部みゆきのコーナーもあります


 トリックや意外な犯人だけの推理小説は、1回読んだら終わりかもしれない(私は犯人がわかっていて読むのも好き)けれど、宮部さんの作品の素晴らしいところは、何回でも読めるところです。そんな宮部さんの作品のなかで私が最初に読んだ小説は『長い長い殺人』でした。

 『長い長い殺人』を1回目に読んだときは、財布が語るという発想に驚きました。面白くて夢中で読んでしまいました。そのあとで、『火車』とか、『魔術はささやく』などを読んで、どんどんのめりこんでしまいました。

 この小説を2回目に読んだときは、私も一歩間違うと一也になってしまうと思いました。もちろん人を殺したりなんか絶対にしないけれど。私は、いまだに「自分は特別」という思いがあるので注意しなければと思いました。

 3回目に読んだときは、また世界が変わりました。「どうなったときに、人は人の言うことを信じるんだろう」、このために宮部さんは『長い長い殺人』を書いたのだと思いました。一つ一つの財布の語る話の中で、人を信じたばかりにひどい目に会う人が何人か登場します。以下、内容に触れていますので、未読の方はネタばれにご注意ください。

 宮崎先生は、塚田和彦のことを親友だと思っていたけれど、実は騙されていた。教え子の三室直美は万引をしていないと信じていたけれど、結果的には裏切られてしまった。でも、宮崎先生は二人を信じたことを後悔はしていないと思います。恵梨子さんは、もうすぐ結婚するというときに、三上行雄に勝手に婚姻届を出されていたことが分かり、大変な目にあった。でも、婚約者の高井さんが信じてくれたおかげで、なんとか結婚できました。

 その人のことが信じられるかどうかは、毎日の会話などの積み重ねで決まるんですね。そして、困っている時こそ信じてくれる人が支えになるんですね。また、たとえ騙されたり裏切られたりしても、「この人は」と思った人のことを信じた時は後悔しないと思いました。宮部さんは、ラストで、人を信じたばかりにひどい目にあった人たちがその後どうなったかをきちんとフォローしています。


作品名 は行〜わ行

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