東野圭吾『浪速少年探偵団』(講談社文庫、1991年11月)の解説
一種の独立国≠ニ言ってもいい大阪の街は、東京という、いつも正体のはっきりしない、虚像しかない都市とは違い、常に生きて、動いて、活動しているから、活きのいい作家を生み出すことがてきるのでしょう。
土着の東京人であるわたしには、これがとても羨ましく思えます。ただ、ここで一言お断わりしておかなければならないのは、わたしの言う「土着の」とは、断じて、「こちとら江戸っ子だい!」などという意味ではなく、「東京人」というのも、「東京はやっぱり国際都市だから──」などというヘドが出そうなええ格好しい≠フ意味合いを持ったものではないということです。それは、言ってみれば、生まれ育った町としての東京≠ナあり、そこに住んでいて、世に喧伝されている「格好いい東京、スマートな東京」についてゆくことのできない、置いてけぼりを食っている「東京人」のことなのです。
そう、都市化が進むにつれて、とろい「土着人」が知っていた東京は、個々の生活スペースの大きさにまで、こなごなに粉砕されてしまいました。もともとあった『東京』は、今存在している、幻想の「東京」、外面しかない「東京」に負けてしまったのです。
でも、大阪は違う。大阪は、都市として膨れあがりながらも、頑として「大阪」であり続けています。これが、関東がまだ泥と挨の僻地でしかなかったころから文化都市だったという、年季の強みでしょう。都市の気骨が違うのです。そして、そういう街とがっちりヘソの緒が繋がっている作家が、個性的で骨太でないわけがないのです。」
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岡嶋二人 『なんでも屋大蔵でございます』が新潮文庫から講談社文庫に移籍したときの解説
1995年7月執筆
文庫本は、巻末の解説から読まれることが多いそうです。だとすれば、ここでひと言。前解説を書いた頃のわたしは、二十代だったんだなあ……まだ会社勤めをしていて、原稿を渡しに、会社の制服のまま版元へ行ったりしてたんだよ……そういえば、この解説が初めての依頼原稿だったんだもんね、あの原稿料は嬉しかったなあ……などと、この解説子は勝手な感傷にふけり始めておりますので、そんなのは放っておいて、どうぞ本編をお楽しみください。
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ディーン・R・クーンツ『コールド・ファイア』(文春文庫、1996年8月)の解説
「神が実在するなら、なぜ惨事を傍観するのか?」
繰り返しになりますが、この問いは、問われる対象である「神」が絶対神である場合のみ、有効なものでありましょう。我が国では、「捨てる神あれば拾う神あり」などと申します。ですから、惨事や天災は、「運の善し悪し」「巡り合わせ」、そして、現代では非常に卑しむべき考え方である「悪因縁や悪行の報い」などという理論で整理されていきます。
煎じ詰めれば、絶対神なきところでは、誰も神に対して怒ることがないのです。優しい神様と怖い神様、頼りがいのある神様と頼りがいのない神様、わかりやすい神様とわかりにくい神様が見分けられればそれでいいわけです。そしてこの思想からは、「神に対して怒る」ことがない代わりに、「神のために」もしくは「神の代理として」闘うという発想も、なかなか生まれ出てはきません。
誤解を受けるといけないので申し添えておきますが、わたしは、我が国の「八百万の神」の思想が、欧米の絶対神思想に比べて劣っているとか遅れているとか言っているわけではありません。それは断じて違います。むしろ、日本の文化や文学も、この思想なくしては生まれなかったもので、現代人である我々は、この基本のところに立ち返ってもうちょっとよく考えてみる必要があるのではないかと、特に近頃は思うようになりました。
さて、ちょっと脱線しましたが、「絶対神」あるところにこそ「神への怒り」「神への疑い」は存在するわけであり、そのとおり、「悪の存在を許す神の存在を許せるか」というのは、欧米文学が繰り返し繰り返し取り上げてきているテーマのひとつでありましょう。
(中略)
最後に、我こそは神の左の拳であるという考え方が、ジム・アイアンハートではなく、肥大した自尊心を抱える強迫観念の強い人物の頭の中で、夜郎自大的に歪んで拡大するとどうなるか――という問いの悲劇的な解答のひとつが、地下鉄サリン事件であったと思う、と付け加えさせてください。
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有栖川有栖『スウェーデン館の謎』(講談社文庫、1998年5月)の解説
人はなぜ探偵をするのか。
そもそも、探偵というのは職業なのだろうか。それとも身分なのだろうか。あるいはほとんど趣味みたいなものなのだろうか――
というようなことを、本書『スウェーデン館の謎』の解説を書くために有楢川さんの諸作品を読み返しながらぼんやりと考えていて、面白いことに気づきました。冒頭の「探偵」のところに、「小説家」という単語を入れてみて下さい。
人はなぜ小説を書くのか。
そもそも、小説家というのは職業なのだろうか。それとも身分なのだろうか。あるいはほとんど趣味みたいなものなのだろうか――
ね? 「探偵」と「小説家」、ここでは、このふたつの言葉は取り替えがきくのです。これがたとえば「刑事」だとこうはいかない。趣味で刑事になる人はいませんし、刑事は最初から疑いなく立派な職業です。「消防士」や「教師」「医師」「看護婦」「運転手」なども同じ。
(中略)
冒頭の一文にぴたりとハマる「人の属性を表す言葉」と、ハマらない「人の属性を表す言葉」との相違点はなんだろう? 考えました。皆さんはどう思われますか?
ミヤベが思うに、前者は社会にとって必要不可欠なものではないのです。対する後者は、言ってみれば人的インフラであって、社会の土台を構成する重要な職業であります。言い換えるならば、後者が社会の基盤をしっかりと固めてくれてからでないと、前者は繁栄どころか生息することもできないということですね。
その昔、まだまだ社会全体が貧しくひ弱で、物質的インフラも人的インフラも足りなかったころに、それでもあえて人的インフラならざる道を選んで生きる人物は、たいへん生き延びにくく、また辛い立場に立たされると同時に、それほど苦労せずとも、自分の存在に意味や意義を見つけることができました。危険だと判っていながらも大きな流れに逆らうというのは、ただそれだけでやりがいがあって面白い刺激的なことなのですから。
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宮城谷昌光 『玉人』(新潮文庫)のために書いた解説
1988年3月執筆
作家にとって、短編小説を書くことは、ほとんどそのまま恋愛をすることです。それも、ほとんどの場合は「結婚」という安定した形で成就することのない、爆発的で刹那的で、だからこそたいへんに燃焼温度の高い恋におちることです。
恋をすると、人間というのは変わるものですね。おとなしい女の子が情熱的になる。強情なへんくつ男が優しくなる。短編小説は作家に対し、それとまったく同じ効果を与えます。普段は目立たない側面が拡大される。眠っていた資質が起きあがる。長編小説という『結婚』の形態では表面に出てくることのない作家の個性が、その"恋″の相手である短編小説によって引き出されて、あとで振り返ると、書いた本人でさえ驚くような別の顔がそこに見えていたりします。いえ、むしろ、作家自身が意識的に"恋″の相手の短編小説にあわせて、日頃は見せない別の顔を思い切ってさらけ出すということもあるのです。なにしろ、この恋の相手とは、最初からごく短い付き合いだということがわかっているのですから、そのあいだだけでも、めいっぱい燃焼したいじゃありませんか。
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『阿川佐和子のアハハのハ この人に会いたい2』(文春文庫、1999年7月)での阿川佐和子との対談
阿川 ちっちゃい頃から書くこともお好きでしたか。
宮部 うん。でも作文でいい点をもらった記憶はあまりないんです。それどころか、小学校四年生のとき、先生に読書感想文のことで怒られて、書き直しさせられたことがありまして。「これは読書感想文じゃなくて、本の宣伝です」って言われて、子供心に悔しかったですね。
阿川 すごいじゃない、それ。書評が書けるってことじゃないですか。
宮部 でも、先生が求める正しい読書感想文じゃなかったんですね。
阿川 何の本について書いたんですか。
宮部 『クマのプーさん』。
阿川 「クリストファー・ロビンの愛らしさが圧巻!」とか(笑)。
宮部 そうそう。中学生のときも、先生の求める作文じゃなかったみたい。
阿川 あらま。
宮部 でも、高校のとき、担任が国語の先生で、私たちはみんなこの先生が大好きで今でもクラス会でよく集まるんですけど、ちょっと異端児の先生で教科書を使わないんですよ。
阿川 へえ。
宮部 ガリ版で、ご自分でテキストつくってね。古典のときは、最初にアンケートを取るんです。「お前ら、一年かけて何読みたい? 『古事記』にするか、エッチな『とはずがたり』か『伊勢物語』にするか」って。で、みんなで採決して『伊勢物語』に決まると、それをやるようなユニークな先生だったんですよ。
阿川 大胆ないい先生ですねえ。
宮部 うん。その先生が、私が卒業するとき作文を褒めてくれたんです。「お前のは美文じゃないから文学をしているわけじゃない。ただ人に読ませる文章を書けるから、文章で身を立てられるかもしれないぞ」って。
阿川 すご−い。先見の明がある先生だったんですね。
宮部 その先生だけでした、作文褒めてくれたのは。でも、それで作家になろうとは思わなかったんですね。私は速記の学校に行くことにしてたから。実際、速記を文章に戻すのも、読みやすい文章を書くいい勉強になりましたけど。 |
『生きるタネ』(ポプラ社、2000年7月)での若者たちへのメッセージ
わたしは東京の下町育ちです。職住近接的な労働者の町で、商店街の町で、町工場の町で育ちました。だからいろんな人生が見られて、それはすごく幸せだと思うんですね。
「クリーニング屋さんっておもしろそうだな」とか、「パン屋さんっていいな」とか、学校の行き帰りに見て思ってました。
銭湯に行けば、女の子だって脱衣所で女の一生を見るわけです。「今わたしはこんなにスタイルを気にしてるけど、あんな奥さんにいつかなるんだな。それでも楽しそうに子どもつれてきてるし」とか、「おばあちゃんになると、ああなるんだ」とか。もちろん、きれいになりたいとか、流行が気になるのは当然だけど、今だけ、この刹那のことだけじゃなくて、人生ってその先もつづくんだってことが、銭湯に行けばわかるんですよ、理屈じゃなくて実感として。
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『歴史読本』2000年9月号で京極夏彦と対談したときの発言
「そうそう、最近おもしろいことがあって。私の仕事場のある場所はね、昔はそこに地主さんが住んでて、自分の敷地内に震災と空襲で死んだ人の供養のお地蔵を建てるために、一坪分の土地を町内会に提供していたんですよ。その地主さんが等価交換で建てたマンションの一室を私、仕事場にしてるんですけど、お地蔵さんは残ってるんです。
深川の人って、今でも震災や大空襲でなくなった方の慰霊の塔とか慰霊のお地蔵さんとかを皆で大事にしているんです。それは共通の辛い思い出、悲しい記憶があるからだと思うんですけれどもね。私もその前を通ると、ああ、きょうもきれいになっているなあなんて思って、気持ちが和らぐんです。
それで、その仕事場が最初からすごく験がいい仕事場だということを私が言ったらば、うちの父が『敷地内にお地蔵さんがいて守ってくれてるからだ』って言うんですよ。」
「これも一種の家族内の話ですよね。それで『そうだねえ。だから私も前を通るとごあいさつするようにしてるのよ』って言ったんだけど、まあ、うちの父なんかは、生活の中でそういう言葉が出てくるように、身にしみついているんだと思うんです。
だけど、ひとつ間違えばね、この地蔵さまはすごく御利益がある、その証拠にうちの娘は夢がかなった、これを担いで新興宗教を始めようというふうにだってなっちゃうよね、敬虔さを持ち合わせてなければ。」
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雑誌『怪』リニュウアル号VOL.0011 (2001年7月)の「“祈り”というビタミン」と題するエッセイ
「そして祈ることを忘れることで、ちょうどビタミンの欠乏した身体のように、人間社会のあちこちでギシギシと何かが軋み、擦り切れたり壊れたりし始めている──」
「どれほど強くなり、賢くなり、自分で自分を充足させることができるようになっても、まだ祈ることができるか。何に対して何を祈ればいいのか、正しく判断をつけられるのか。人間は、たくさんの試験に合格してここまできて、いよいよそういう難しい問題を、目の前に突きつけられているのかもしれません。」
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『歴史街道』2002年5月号掲載のインタビューでの発言
中学校時代の私は英米の恐怖小説に嵌まってしまい、いろいろなアンソロジーを読みふけっていました。こういった小説は、大きく括ればミステリーに入るのですが、恐怖小説好きと元来の時代もの好きがあいまって、23歳になった頃には、自分で時代ミステリーを書いてみたいと思うようになったのです。
そこで小説教室に通い出したのですが、とにかくとても楽しかったです。好きでしたので、最初から時代ミステリーも書きたかったのですが、好きと書くでは大違い。まず距離感がわからず、登場人物を歩かせることができないんです。そんなときに、小説教室の講師をしていらした多岐川恭先生に、「勉強はあとからでもできるから、書きたいことがあるなら、とにかく書いてごらんなさい」、それと「岡本綺堂の『半七捕物帳』をまず読んでみたらどうですか。面白いですよ」とおっしゃっていただいて。
早速『半七』を探したのですが、当時『半七』は古本屋さんでしか入手できませんでした。しかもかなりの値段でとても手が出ず、図書館にあるものだけを読んで我慢していました。ですから『半七』が復刊されたときは嬉しかったですね。
『半七』を読んで一番勉強になったのは、言葉の言い回しやリズムです。半七と話をする町家のおかみさんや職人の女房の言葉遣いが、それぞれ書きわけられているんです。また『半七』には季節感もよく出ていますし、なにより江戸の町の雰囲気が色濃く漂っていますので、それに浸るだけでも楽しかった。不思議なことに『半七』は、読んでしばらくすると適度に忘れるんです。それでまた読みたくなる。今でもときどき、思い起こしたようにページを開いています。
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『週刊ポスト』2003年4月25日号での『ブレイブ・ストーリー』についての著者インタビュー
「最近、特に若い人たちに、現実の物語的ではない部分、華やかじゃなかったり劇的じゃなかったり、心がときめかなかったりする部分を排除しようとしたり、自分に物語的なことが起こらないことに劣等感を抱いたり、こんな現実は間違っていると宗教にハマっちゃったりという傾向があるように感じます。
物語なんて使い捨てにしていいものだし、物語はウソで本当なのは現実。そのことを物語作家の1人として何とかうまく伝えられないかと」
そんな思いが根ざしたきっかけが、90年代半ば、オウム真理教の一連の事件だった。
「悔しかった……あんないい加減な世直しの物語に若い人がついていっちゃって、その挙げ句、何人もの方が亡くなって。負けたんだという気がしましたね、私たち作家が作ってきた物語が、麻原某のいうことに。もう歯軋(はぎし)りするくらい悔しくて、その気持ちは今でも変わりません」
「でもね、最近耳にするゲーム感覚″って言葉が、私にはよくわからないんですよ。オタクが人を殺した、ゲームをやっているからだ、そんな文脈は成立しないのに。その人のいうオタクはいわばゲームや物語のお約束を最も知り尽くした人たちであって、物語は現実にあって欲しくはない酷いこと、辛いことも肩代わりしてくれているということを誰よりも知っているはずです。
それは、本をたくさん読む人でも、映画をたくさん観る人でも同じだと思いますし」
「最近ね、セレブ(名士、有名人)って言葉が流行っていると聞いて驚いたんです。それ何ですか? という感じで。世の中の、いいことばかりの上澄みに住まうのがよき人生で、澱みとは関わらないように生きるのが幸せだと? それがセレプなんですかね。
だから、いいことも悪いことも、一箇所に集まるのは良くない。いろんな人に分散してあるほうがいい──というより、それが現実を生きるということだと思うんですけどね。
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『小説現代』2003年5月号での『ブレイブ・ストーリー』についての著者インタビュー
ここまで作者が言うと少し言い過ぎだとは思うんですが、命というのは取り返しがつかないということ。カッツも美鶴の妹も生き返らせることはできないわけで、どんな運命の女神でも、そこにたどり着いて願いを叶えてもらう過程で失った命は取り返せない。
この作品は比較的、若年層の方から読んでもらえそうなものでしたので、死んだ人が簡単に生き返るということだけは禁じ手にしようと思っていました。つまり、『運命を変える』ということにはそういう限界があると。運命を変えるというのは生きている人間が変えていくわけで、死というのは絶対に引き返し不能な地点だから、他人を殺してはいけないし、自分の命を軽んじてもいけない。それを生の言葉ではなかなか書けないので、ミツルは失敗するという方向に持っていってしまいました。だから、今度はミツルという名前の子が幸せになる話を書かないとかわいそうだなと(笑)。
でも、ミツルというのは、もしかしたら実在した子供じゃなくて、亘のある一面だったんじゃないかと取ってもらってもいいと思います。だから現世に帰ってくるといなくなっちゃってて、確かにそういう名前の転校生はいたけど、「三谷は、芦川のこと知らないだろう?」と言われてしまう。運命の塔にたどり着いたワタルに女神がミツルはあなたの内に存在していると小さな声で言って、それがワタルに聞こえないシーンは、そういう謎解きのつもりであったんです。
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『時代劇マガジン』2003/vol004号での「茂七の事件簿」についての発言
私は、「金曜時代劇」で、この『茂七の事件簿』というドラマができたことを喜んでいます。小説がドラマ化されたときに、原作者は実は気に入ってなかったりするだろうって、読者の方などは思うことがあると思うんですね。でも、少なくとも私はこの『茂七の事件簿』に関しては、自分もファンで、原作である小説とはまた違う世界が独自に作られているので、楽しみにしています。これは、原作者が営業用に言っているわけじゃありませんよ(笑)。また、大変視聴率がよかったということで、それはこの作品世界を愛してくださる方が多いからだと思ってます。第3シリーズまで作っていただけたことをとっても喜んでいますし。実は、原作者は何もしてないんですけど(笑)…原作者として名を連ねている者としても、みなさんにお礼を申し上げたいです。そして、第3シリーズも、ぜひ愛していただきたいと思います。 |