やまももの部屋
            
やまもものプロフィール
  本名  太田秀夫
  生年  1947年4月
  出身地 奈良市高畑町
  現在地 鹿児島市伊敷台
  出身校 大阪外国語大学中国語学科卒業
       大阪市立大学大学院文学研究科修士課程修了 同博士課程中退 
  職歴  元鹿児島国際大学短期大学部教員 現在無職(年金受給)
                                           2013年4月

 張九齢の「照鏡見白髪(鏡に照らして白髪を見る)」と題された有名な漢詩に次のようなものがあります。

 宿昔青雲志(宿昔 青雲の志)
 蹉タ白髪年(蹉タたり 白髪の年)
 誰知明鏡裏(誰か知らん 明鏡の裏)
 形影自相憐(形影 自ずから相憐れまんとは)

 左に載せたプロフィール写真は2015年の年度末に撮ったものですが、まさに「形影自ずから相憐れむ」の感を覚えます。それで意識的に解像度を落としてアップすることにしました。

 ところでこの張九齢の漢詩を井伏鱒二が和訳しているのですね。そうです、于武陵の「勘酒」と題された漢詩「勧君金屈巵 満酌不須辞 花發多風雨 人生足別離(君に勧む金屈巵 満酌辞するべからず 花發すれば風雨多く人生別離足る)を大胆にも「コノ杯ヲ受ケテクレ ドウゾナミナミ注ガシテオクレ 花ニ嵐ノタトエモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」と意訳した文学者です。そんな井伏鱒二は、張九齢の「照鏡見白髪」をつぎのように和訳していま
す。
シュッセシヨウト思ウテキタニ
ドウカスル間ニトシバカリヨル
ヒトリカガミニウチヨリミレバ
皺ノヨッタヲアハレムバカリ

  ではこの井伏鱒二訳を参考にして、私自身が年老いた写真を見ての感慨を詩にさせてもらいます。

 出世なんてどうせ他人事だと思ってはいたが
 いつまにやら馬齢を重ね
 独り撮った写真をそっとながめて見れば
 玉手箱を開けてビックリ皺くちゃ爺さん
2016年1月7日

やまももの自宅のヤマモモの木
 
動物占いのホームページで無料占いをしてみましたら「あなたは狼です」と言われました。占いなんて信じない方ですが、「変わってるといわれるのが嬉しかったりもします」なんて指摘に、お主もなかなかやるのうとまずは感心。生年月日だけで占っているのに「自分だけの時間と空間をとても大切にし、何をするのも自己流です。臨機応変の対応は苦手ですが、自分にしか出来ないことでナンバーワンを目指します」なんてご託宣もあり、基本的な点ではよく当たっているようです。でも、「自分にしか出来ないことでナンバーワンを目指します」という箇所は当てはまりませんね。なぜなら、「自分にしか出来ないこと」なんて自分探しの旅でなにひとつ見つけられませんでしたし、どんなことでもナンバーワンになることは大変なことですからね。そんなことを探したり目指してもそれは無理だということを悟り、いまでは動物園のコアラのような存在になってしまいました。でも、コアラのように愛くるしい存在だと言っているのではありませんよ。誤解のないように。
 ギブミーチューインガムを知っている団塊の世代です。でも幼い私は、人見知りする子で人一倍引っ込み思案なため、シンチューグンの兵隊に群がる子供たちの群から外れて一人ぽっんと外から見ていました。あっ、シンチューグンの兵隊といっても、真鍮で出来たおもちゃの兵隊ではありませんよ。アンデルセン童話のおもちゃの兵隊はすず製でしたが、シンチューグンの兵隊はアメリカ産の生身の人間たちでした。身体の大きい彼らは、小さな黒い眼のメアリーさんたちを小脇に抱えるようにして私のふるさとの街をよく闊歩していました。この黒い眼のメアリーさんたちは、金髪に染めた髪に派手なネッカチーフを捲き、やはりとっても派手なブラウスとロングスカートを身に纏っていました。その頃、お隣の朝鮮半島では激しい戦争が始まっていましたが、勿論、幼い私はそんなことなど全く知りませんでした。
 いまは二人の男の子の父親と一人の妻の夫ですが、物の本によりますと、コーランでは4人まで妻を持つことが許されているそうですが、一人だけでも大変なのに、4人なんて想像するだけでただただ恐怖です。ところで、私の座右の銘は  「忍の一字」です。
 趣味は読書、庭いじりにパソコンです。パソコンは1984年から使用するようになりました。当初は、「あんなこといいな、できたらいいな」といろんな夢を抱いてパソコンを始めたものです。しかし、ドラえもんの小さなポッケからいろんな道具がぽんぽんと飛び出してくるようなわけにはいきません。パソコンでやりたいことを実現させるためには多大の時間と金を費やさなければならないことを痛感させられました。でも、いまではパソコンなしの生活なんて考えられません。特にパソコンの「どこでもドア」は仕事と私生活の両方において必要不可欠な道具となっています。勿論、「どこでもドア」とはパソコン通信やインターネットのことです。
 パソコン通信は1990年から始め、インターネットは1996年からアクセスしています。1999年の12月になってから、ぜひ2000年になる前に個人のホームページを開設しておきたいと思うようになり、泥縄式に作ったのがこの「やまももの部屋」です。自分にしか出来ないものを作ってナンバーワンのホームページにしょうなんて大それた野心などこれっぽっちもありませんが、でも時間をかけて少しでもいいものにしていきたいと思っておりますので、みな様方のご指導とご声援をお願い申し上げます。           
                                                    1999年12月26日


ヤマモモの木についての説明

 私が「やまもも」と名乗っていますのは、拙宅の庭にヤマモモの木があるからです。ヤマモモは、大きく育つと25メートルくらいの高さになる常緑高木です。なお、ヤマモモを山に生えている桃の木のことと勘違いされる人もいらっしゃるようですが、可愛いピンクの花を咲かせたり美味しい実がなる桃の木とは全く関係ありません。桃はバラ科の落葉小高木ですが、ヤマモモはヤマモモ科の常緑高木です。木の大きさや枝振り、葉っぱの色や形などを見ても両者は全く似ていません。花も、ヤマモモは尾状花序をつけますが、生い茂る緑の葉に隠れて全く目立たない存在です。実も桃ほど大きくありません。夏には直径2、3センチぐらいの暗紅色の小さな実を沢山つけます。

  
                                                                                  

            

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