やまももの部屋  

     中国雑談
   
          
 
 この「中国雑談」に載せている拙文は、1995年から1996年にかけてNIFTYの中国フォーラムに私が書き込んだ文章の一部を新たに手直しして転載したものです。このフォーラムでは、多くの方から中国に関するいろんな知識、情報を教えていただき、様々な示唆を受け、大いに啓発されました。NIFTYの中国フォーラムでお世話になった会員の方々にあらためて感謝の意を表したいと思います。

1.中国での贈り物タブー

2.毛沢東の歇後語「和尚さんが傘をさす」

3.山桃の「桃」という漢字

4.三蔵法師と毛沢東

5.中国語発音に由来する日本語

6.漢字は「悪魔の文字」?




1.中国での贈り物タブー

 中国では年配の人に扇子や時計を贈り物にするのはタブーとのことです。「扇」(shan4)は「散」(san4)に通じ、「鐘」(zhong1)は「終」(zhong1)に通じるからだそうです。

 日本ではめでたい動物とされる亀の図柄なんか入ったものも中国では駄目だそうです。亀のことを「王八」(wang2ba1)といいますが、すなわち「忘八」(wang4ba1)で、亀さんは仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌という中国人にとって基本的な八つの徳目をすっかり忘れてしまっているそうなんです。そんな亀さん、やはり中国では尊敬されないんでしょうね。

 亀さんは、やっぱりもっと身を正して徳を積まねばなりませんね。これこれカメさん、あんたの評判悪いよ。もっと修行せんとアカンよ。えっ、カメへん、カメへんですって。このカメさんは私と同じ関西出身で、全然気にしていないようでした。


2.毛沢東の歇後語「和尚さんが傘をさす」
 
 中国には、上の句を言って下の句を言い当てる歇後語というものがあります。しゃれ言葉の一種ですね。例えば、「理髪師的徒弟」(床屋の弟子)なら、その後に「従頭学起」という言葉が続き、「床屋の徒弟は頭から学ぶ→イロハから勉強」ってことになります。「魯班門前誇手芸」(名工として有名な魯班の門前で腕前を誇示する)と来て、「不知身分」(身のほど知らず)となります。「猪八戒照鏡子、里外不是人」で、「猪八戒が鏡を見る→裏にも表にも人の顔がない→人に合わす顔がない」なんて歇後語もあります。

 日本にも似たような表現がありますね。古典的なものでは「厠(かわや)の火事→やけくそ」とか、「お前の話は風呂釜だ→湯ばかり→言うばかりで信用できない、実行しない」なんてものがそうですね。

 ところで、「三個和尚没水喫」(和尚が3人だと水が飲めなくなる)も歇後語なんですが、意味が分かりますか。

 「一個和尚挑水喫、両個和尚抬水喫、三個和尚没水喫、互相攀靠」
  和尚が一人または二人なら、水を担いで飲める。 三人だと責任をなすりつけあって飲めない。

 なるほど、よくあることです。無責任体制ってやつですね。日本でも深刻ですが、中国でも官僚主義が蔓延し、緊急を要する課題でも、関連官庁・部局間のセクト主義や文書のたらい回しなどによって「三個和尚没水喫」状態がよく見られると聞いています。

  このような歇後語表現の真の意味を知らないと、とんでもない勘違いが生じてしまう可能性があります。そんな例として有名なものに毛沢東の和尚打傘」という歇後語表現があります。この毛沢東の和尚打傘」発言は、、『中国の赤い星』で有名なエドガー・スノーが文化大革命時の1970年に訪中したときに言ったもので、この歇後語表現を通訳を担当した唐聞生(米国で幼少時代を過ごした人物だそうです)が "I am a lonely monk walking the world with a leaky umbrella"と英訳して全世界に伝わり、日本でも朝日新聞がこの毛発言を「ヤブレ傘を片手に歩む孤独な修道僧」と訳されて報じられました。

 この「ヤブレ傘を片手に歩む孤独な修道僧」の部分、実際には毛沢東は「和尚打傘」と言ったとのことです。そしてこの「和尚打傘」は歇後語表現で、「和尚打傘、無法(髪)無天」(和尚さんが傘をさせば、髪 fa2=法fa3 も無ければお空も見えない→法も天もない)ということだったんです。すなわち、毛沢東は、「法も天もクソくらえ、オレ様のやりたいようにやる」と言ったんですね。文化大革命当時の法治主義完全否定の発言だったんです。それが英訳されたときに誤訳され、さらにエドガー・スノーの独自の解釈を通じて世界に伝えられ、なんと中国にもその解釈が逆輸入されてしまったようです。例えば、日本で1990年6月に講談社から刈間文俊訳で発行された陳凱歌『私の紅衛兵時代』の53頁につぎのような文章が載っていました。

 「毛自身の言葉を借りれば、彼は『傘をさして、四方を放浪する修業僧』なのだ。僧が放浪するのだから、清貧に甘んじ、世人を救済し、世俗に反逆せねばならない。」

 毛沢東の「和尚さんが傘をさす」発言はそれを孫引きした陳凱歌によってずいぶん異なった意味に解釈されましたね。ただ幸いなことに、陳凱歌『私の紅衛兵時代』を翻訳した刈間文俊は「傘をさして、四方を放浪する修業僧」の部分に注釈を加え、「『傘をさす修業僧』とは一種の言葉遊びの表現。傘をさすので『天が無く』、僧であれば『髪が無い』。しかし『髪』は中国語では『法』と同音だから、この句の意味は『法も天も無視し、やりたいようにやる』ということになる」と指摘しています。

 ではこの毛沢東の「和尚さんが傘をさす」発言の誤訳問題、現在の中国ではどう正されているのか気になってインターネットの中文googleで調べてみましたら、「華夏経緯網」の2008年9月25日の記事に米中国交締結時に活躍した熊向暉の談話「毛沢東は自らのことを『傘をさした孤独な僧』のようだと言ったのか」を見つけ出しましたので紹介したいと思います。
  ↓
  http://www.huaxia.com/wh/gjzt/2008/00741477.html

 毛沢東は訪中したエドガー・スノウと北京の中南海(中国要人の官邸がある場所)の住居で1970年12月18日に5時間ほど会見し、通訳は唐聞生が担当したそうです。この会見の中で毛沢東の「和尚打傘、無髪(法)無天」発言もありましたが、同発言はスノウが個人崇拝問題に触れたときの返事として出てきたもので、毛沢東が「あなた方のアメリカでもやはり個人崇拝が多いですね。あなた方の国はいつも何かと言うと『ワシントン』と言っています。中国でもここ数年必要なら些か個人崇拝を行いましたが、崇拝が過ぎて、例えば『四つの偉大』(やまもも注:毛沢東のことを偉大な導師、偉大な指導者、偉大な統帥 、偉大な舵取りと讃えた)なんて言うのは人に嫌われ、しらけさせますよね」と言った後、スノウが北京に住む二人のアメリカ人の談話と違って毛沢東本人は『率直だ』との発言に返してつぎのように言ったときに出て来たものだそうです。

「彼らはいささか迷信があるようですし、さらにいささか恐れがあるようで、誤解を恐れずに言うべきです。我は誤解を恐れずに言いますが、私は無法無天で、これを『和尚打傘,无髪(法)無天、没有頭髪、没有天』(やまもも注:和尚さんが傘をさせば頭髪もなければお空も見えない)と言うんです。」

 この発言が通訳の唐聞生によって誤訳され、さらにスノウの独自の解釈が加わって世界に広まったそうで、いまは中国国内でもすでにこのように正されて報道されているようですよ。

3.山桃の「桃」という漢字について

 歇後語といえば、「十二月天找楊梅、難上難」(12月にヤマモモを捜す→極めて難しい)というものもあります。私のハンドルネームは「やまもも」ですが、樹木のヤマモモのことを中国語では「楊梅」というんですね。

 ところで、中国名「楊梅」のこの木がなぜ日本では「山の桃」を意味する名前で呼ばれているのでしょうね。これを考える上でヒントになるのがサクランボ(桜桃)、クルミ(胡桃)です。これらは、桃の実には全然似ていないのに、やはり「桃」という漢字が当てられていますね。では、これらの共通点はなにか。種の形がよく似ているんですね。

 手許にある角川の『新辞源』には、「桃」という字のなりたちについて「木と、われる意と音とを示す兆とから成り、さくっと割れる実が成る木の意を表わす」としています。ヤマモモの種も、梅干しの種を小さくしたような形をしており、真ん中でパカッと割れます。ヤマモモもこのような意味で山に生える「桃」なんですね。


4.三蔵法師と毛沢東

 中国では三蔵法師が口ばっかりで頼りない存在として人気がないのをご存知ですか。物語の『西遊記』の三蔵法師は、確かに口ではもっともらしいことは言うけれど、孫悟空がいなければなにもできない、なんとも頼りない存在ですね。科挙試験のために丸暗記した古典から「子曰・・・」と引用すること以外に能のなかった昔のインテリって感じですよね。

 でも日本では、そんな三蔵法師は女性たちの母性本能をとても刺激するようですよ。最近のアンケート結果によりますと、「物静かだけれど、しっかりしている」、「優しそう」「賢そう」とのプラスイメージが圧倒的だそうです。えっ、そんなアンケート、どこに載っていたかですって。いや、知っている三人の女性に聞いただけのことなんですけどね。

 ところで、中国における三蔵法師のイメージを徹底的にダウンさせたのは、やっぱり毛沢東だったようです。

 手許の光生館の『現代中国語辞典』の「唐僧」という単語の説明に、この単語が玄奘三蔵のことを指し、また「お人よしで階級観念の欠如している人のことを指す」とし、またそれが毛沢東の詩から出ていると指摘しています。

 このような三蔵法師評価は、毛沢東の詩と関わっています。武田泰淳・竹内実『毛沢東その詩と人生』(文藝春秋)に、つぎのような毛沢東の詩が載っていました。

 一従大地起風雷 便有精生白骨堆 僧是愚氓猶可訓 妖為鬼YU4必成災
 金猴奮起千鈞棒 玉宇澄清万里埃 今日歓呼孫大聖 只沿妖霧又重来

 『毛沢東その詩と人生』の解説によると、三蔵法師が「愚氓」とされるのは、彼らの前に妖怪たちが美女、老婆、老人とつぎつぎと姿を変えてあらわれたとき、金猴(孫悟空)はそれを見破り、千鈞棒で叩き殺して白骨の山を築いたのに、三蔵法師の方は、孫悟空が人殺しをしたと誤解し、懲罰を与えて破門したからだそうです。

  では、毛沢東はなぜ三蔵法師を「愚氓」と敢えて辱めたのでしょとか。毛沢東は、悪い奴らに騙されないように気をつけるように人々を諭すために敢えて三蔵法師を「愚氓」呼ばわりしたのでしょうか。

 ここからは私の強引な見解なんですが、毛沢東は三蔵法師をインテリ&人道主義者の代表として徹底的に辱めたのではないかと思います。毛沢東は、インテリが大嫌いでした。インテリにはろくなヤツがいない、これまでの歴史で、偉業を成した人物はみな教育を受けていない人物たちである、人間、本を読めば読むほど馬鹿になる、と言っています。文革では、インテリは九番目の臭いヤツとして辱められ、批判され、ひどい目に遭いました。また彼は、人道主義(ヒューマニズム)には階級性があり、階級を越えた普遍的な人間性とか人間愛なんて存在しないとも言っています。だから、文革では無数の孫悟空たちが、相手が「階級敵」なら、そんなヤツらを妖怪変化として打ち殺して白骨の山を築くことこそ、まさに偉大な革命的行為だと思いこみ、それを忠実に実践したのです。

 毛沢東から「愚氓」と言われた三蔵法師ですが、しかし「猶可訓」(ちゃんと教え諭したら、まだ更正の余地がある)とのありがたいお言葉もいただいています。文化大革命当時に妖怪変化扱いされて迫害を受けた人たちよりはずっと運が良かったと言えますね。


5.中国語発音に由来する日本語

 
ウーロン茶、プアル茶、さらには玄宗皇帝が楊貴妃のために南方からわざわざ取り寄せたというあの茘枝も、いまの子どもたちはライチーと発音しています。これらはみんな中国語発音に由来していますね。このような中国語発音に由来する日本語には他にどんなものがあるでしょうかね。


 私の子供の頃、プロ野球のラジオ実況放送でよく「ロートル」という言葉を聞きました。「昔は活躍した彼も、いまではすっかりロートル扱いされて、なかなか出番がないですね」といった調子です。このロートルという言葉は「老頭児」(laotour)から来ていますね。私の父親が家に連れて来た飲み友達に対してよく「キミはオレのポンユウだ」なんて言っていましたが、これは「朋友」(pengyou)に由来していますね。他にも、メンツは「面子」(mianzi)、ペテン師のペテンは[弓并]子(bengzi)、トイメンは「対面」(duimian)、アンポンタンは「王八蛋」(wangbadan)という中国語の発音に由来していますね。

 ところで、「アンポンタン」は、岩波新書の安藤彦太郎著『中国語と近代日本』によりますと、日清戦争のときの「兵隊支那語」から来ているそうですよ。それ以外にも「ペケ」(不可)、「ポコペン」(不[句多]本、bugouben、だめだ、話にならないの意)なども「兵隊支那語」だそうです。

私にとってあまり馴染みのない「ポコペン」については、同書にはつぎのような解説がありました。

 「『ポコペン』は『不[句多]本』([句多]は足りる、本は元手の意)。値切り倒したり、ときには代金を払わずに品物を持ち去る日本人に、街頭の商人たちが『元手にも足りません』と追いすがった。『ポコペン』の背後には、中国民衆の悲鳴が聞こえてくるような気がする。」



6.漢字は「悪魔の文字」?

 朝日文芸文庫の『大野晋の日本語相談』につぎのようなことが書いてありました。

「今から五十年近く前、敗戦したとき、アメリカは日本の軍国主義的政治を根絶し、民主主義を日本に導入して、日本を改造することを目指しました。
 その時、敗戦が明白になったのに何故日本人が勇猛に戦ったのかを、アメリカ人は疑問としました。彼らの結論は、日本人が正しい情報を得ていないからだということでした。日本では、漢字という悪魔の文字を使って教科書や、人民に読めない新聞を作り、人民に正しい情報を与えていないと考えたのです。
 それで、教育使節団を日本に派遣して、日本が将来、何らかの表音文字使用―カナかローマ字―にすることを勧告しました。勧告とは、当時、命令に近い効力を持つことでした。」

 大野氏はこんな事実を紹介した後、戦後、「漢字など使っていたんではヨーロッパの工業に追いつくことはできない」というのが国字改革の合い言葉だったとしています。しかし大野氏は、「2千字以上の漢字を使い続けたにもかかわらず日本は経済復興をなしとげました」とし、この事実は先ほどのような主張が「正しくなかったことを示しているといえるでしょう」としています。

 
さて、漢字がもし「悪魔の文字」だとしたら、漢字の本家本元の中国には仮名なんてものもありませんから、文章全てが「悪魔の文字」で覆い尽くされていますね。簡体字化しても欧米人から見れば少し灰色化しただけのこと、やっぱり「悪魔の文字」には変わりがないでしょうね。もし欧米から中国に教育使節団がやってきたら、きっと「こんな悪魔の文字を廃止してローマ字化すること」を勧告したでしょうね。

  いや、中国国内でも、全ての中国語の文章をローマ字で表記しようとす動きは何度もありました。毛沢東だって、積極的なローマ字推進論者で、例えば1956年2月には、「ヨーロッパの文字」について、それは「合理的であり、字が少なく、慣れるとそれに軍配をあげたくなる。漢字とはくらべものにならない」としています。しかし、彼のこんな発言があっても、やはり即時のローマ字化はあまりにも非現実的でした。中国語には同音語が非常に多く、さらに同じ漢民族でも多数の方言があり、共通語をローマ字で正確に発音したり書いたりすることはとても困難ですね。また、漢字によって作り上げられてきた過去の伝統・文化との間に深刻な断絶が生じるでしょうね。

 それから、漢字自身に素晴らしい造語力と「意味論的透明性」(言語学者の鈴木孝夫が使っている言葉で、文字を見ていたらその意味内容が透けて見えること)があることも忘れてはなりませんね。例えば、鈴木孝夫著『日本語と外国語』(岩波新書)につぎのような英単語が載っていますが、みなさんお分かりになりますか。これらの単語、英語を母国語とする英米人にも難しい単語だそうですよ。

  1.CLAUSTROPHOBIA  2.ACROPHOBIA   3.SEISMOGRAPH   4.HYGROMETER

 これを中国語で書くと「1.幽閉恐怖症、2.高処恐怖症、3.地震儀、4.湿度計」となります。英語で分からない人も中国語を見たら、ははんとすぐ分かるでしょう。「閉所恐怖症」「高所恐怖症」「地震計」「湿度計」のことですね。じーっと単語の漢字表記を見ていたらまさに内容が透けて見えてきますね。本当に、漢字には素晴らしい造語力
と意味論的透明性がありますね。

 ただ、「安科雷奇」(アンカレッジ)、「谷登堡」(グーテンベルク)「凱迪拉克」(キャデラック)なんて中国漢字音による外来語表記を見ていますと、私にも漢字が「悪魔の文字」に見えてきます。こういう漢字はなんとも感じが悪いですね。外来語表記はなんとかならなりませんかね。





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