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台湾の「ひまわり学生運動」と議会占拠

 2014年3月に台湾で起こった「ひまわり学生運動」の指導者・林飛帆は、親中派として知られるメディア王の蔡衍明による大手ケーブルテレビ買収に反発し、「反メディア独占」を掲げて2013年9月に大規模デモを指揮した人物です。この台湾の「ひまわり学生運動」について、まず東京外大の小笠原欣幸氏の「中国と向き合う台湾―激変する力関係の中で」(『ワセダアジアレビュー』 No.16 ) が的確に纏められており、幸い同拙が「小笠原ホームページ」にUPされていましたので、同稿でこの学生運動のことを下に紹介させてもらいます。

 「馬政権は二〇一三年六月、中台の市場開放・経済協力をさらに進める『サービス貿易協定』を締結した。ビジネスチャンスが拡大する業界は歓迎したが、対中経済依存を警戒する諸団体が反対した。また、協定の内容が非常に複雑で事前の説明も不足していたので、影響を受ける業界も不安・不満を表明した。立法院での協定批准審議が民進党の妨害で九箇月たってもまったく進まない中、国民党は二〇一四年三月、審議打ち切りの挙に出た。それに抗議する学生らが台湾の国会にあたる立法院の本会議場を三週間にわたり占拠したのが『ひまわり学生運動』である 。三月三〇日には学生らを支援する大規模抗議集会が台北市中心部で開かれ、一〇‐五〇万人もの市民が集まった。抗議行動がこれほど大きくなったのは、馬政権の対中政策の進め方に不安を抱く人が増えていたことが背景にある。
 ひまわり学生運動は、(1)反馬英九、(2)反中国、(3)反グローバル化(格差を広げる自由市場経済の拡大への反感、ここには中台の巨大資本への反感も含まれる)、(4)反体制(若者が閉塞感を感じる社会と既成政治への反感、ここには国民党だけでなく民進党への不満も含まれる)の主張が綯い交ぜになったものである。学生らの行為は住居侵・不法占拠・業務妨害にあたるが、多数の民意の支持を得て政権から一定の譲歩を引き出すことに成功し、平和的に立法院の議場から退去した。台湾のひまわり学生運動は、アジアにおいて学生運動が何らかの成果を生み出した数少ない事例であると言ってよいだろう。


 また、「nippon.com(ニッポンドットコム)」に載った若林正丈の「揺れ動く台湾市民社会―『ヒマワリ運動』が浮上させた『多数』の意味」と題されてた評論文では、日本の1960年代から70年代のニューレフト運動と比較してつぎのように書いています。

 「国会議場とその周辺の道路を占拠して示威するという、いわゆる『実力行使』であり『違法』な活動でもあった。『違法』な『実力行使』」型の学生を中心とした運動に、こんな穏やかな終わり方があり得るのか。東大安田講堂の攻防戦(1969年)や浅間山荘事件(1972年)といった1960年代から70年代のニューレフト運動の苦々しい結末を記憶する世代の日本人の中には、意外の感を持った人も少なくないのではないか。」
 「ニューレフト運動が煮詰まってきた段階のスローガン『連帯を求めて孤立を恐れず』に象徴されるように、当時の日本の学生運動は、社会に訴えてその中に多数を形成していく志向が希薄であり、その『実力行使』には『暴力』のレッテルを貼られて退潮していった。


 若林正丈は、台湾の今回の運動はそれと違って「社会の中である規模と輪郭とを持った多数を背後に持てた」学生運動であり、「馬英九総統と王金平院長との与党内対立とも相まって、政権は占拠者強制排除に踏み切れず、王院長の調停の結果をしぶしぶ容認せざるを得なかった」とし、「では、その『多数』とは何だったのか」としてつぎのように解説しています。

 「それは、まずもって、民主政治擁護の「多数」であった。議場占拠行動が喚起したのは、『サービス貿易協定』そのものの是非のみではなく、中国との関係強化に前のめりになった現政権が、協定締結の台湾の前途に与える影響の大きさにもかかわらず、説明責任を果たしていないとの不信感と与党の審議ルール無視の行動への反発であった。1990年代半ばにできた台湾の民主体制が何か不具合を起こしているのではないかという懸念が広く共有されたのだといえよう。この懸念が呼び寄せた『多数』なくして議場占拠の学生を包み込んで守る街頭政治の多数は形成されなかったであろう。

 私はシールズ関連で関心を持った高橋源一郎の『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書、2015年5月)を読んでいましたら、書名と全く同じ「ぼくらの民主主義なんだぜ」というタイトルでこの台湾の「ひまわり学運」について高く評価する評論文が目に入りました。高橋源一郎はつぎのように書いています。

 「3月18日、台湾の立法院(議会)は数百の学生によって占拠された。学生たちは、大陸中国と台湾の間で交わされた、相互に飲食業、金融サービスなどの市場を開放するという内容の『中台サービス貿易協定』に反対していた。占拠の直接のきっかけは、その前日、政権を握る国民党が協定発効に関わる審議を、一方的に打ち切ったことだった。
 立法院を占拠した学生たちは、規律と統制を守りつつ、院内から国民に向けてアピールを続けた。中国に呑みこまれることを恐れる国民の強い支持を受け、占拠は24日間にわたって続いた。


 この運動について、中国に批判的な立場からの、彼らを支持する意見を、それから、運動に共感しつつも、学生たちの思想の未熟さを指摘する意見を、読むことができる。けれども、わたしは、もっと別の感慨を抱いた。

 占拠の一部始終を記録したNHK・BSの「議会占拠 24日間の記録」にこんな光景が映し出された。

 占拠が20日を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、立法院長(議長)から魅力的な妥協案が提示された。葛藤とためらいの気分が、占拠している学生たちの間に流れた。その時、ひとりの学生が、手を挙げ、壇上に登り『撤退するかどうかについて幹部だけで決めるのは納得できません』といった。

 この後、リーダーの林飛帆がとった行動は驚くべきものだつた。彼は丸一日かけて、占拠に参加した学生たちの意見を 個別に訊いて回ったのである。

 最後に、林は、妥協案の受け入れを正式に表明した。すると、再度、前日の学生が壇上に上がった。固唾をのんで様子を見守る学生たちの前で、彼は次のように語った後、静かに壇上から降りた。

 『撤退の方針は個人的には受け入れ難いです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう』

 それから、2日をかけ、院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったヒマワリの花を一輪ずつ手に持って、学生たちは静かに立法院を去っていった。
 
 この小さなエピソードの中に、民主主義の本質が浮かび上がったようだった。民主主義は『民意』によって、なにかを決定するシステムだ。だが、『民意』をどうやってはかればいいのか。結局のところ、『多数派』がすべてを決定し、『少数派』は従うしかないのだろうか。

 学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、『民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、「ありがとう」ということのできるシステム』だという考え方だった。
彼らが見せてくれた光景は、彼らが勝ち取った政治的成果よりも、重要だったように、わたしには思えた。それは、わずか数百の参加者で、たまたま「直接民主主義」が実現されいた場所だから可能だったのだろうか。


 そして高橋源一郎は、「民主主義の原理を記した、ルソーの『社会契約論』には、不思議な記述がある。ルソーによれば、『表意志』(「民意」と考えていいだろう)は、意見の違いが多ければ多いほど、その真の姿を現すことができるのである。そこに垣間見える民主主義の姿は、わたしたちの『常識』とは異なつている。/もしかしたら、わたしたちは、『正しい』民主主義を一度も持ったことなどないのかもしれない。『民主主義』とは、ドイツの思想家、ハーバーマスの、想像力を刺激することばを用いるなら、一度も完成したことのない『未完のプロジェ クト』」なのだろうか」と結んでいます。

 この高橋源一郎の評論文にも紹介されていますが、NHK・BSの「議会占拠 24日間の記録」が@動画に記録されています。

 なお、「りんご学生運動」の指導者・林飛帆が今回の台湾の議会占拠を決意した理由を知りたくて、「Yahoo奇摩 台湾」で検索しますと、「蘋果日報」2014年03月20日の「反骨林飛帆 社運屡見身影」と題された記事で、つぎのように語っていることが分かりました。

 私なりに林飛帆の発言を和訳するとつぎのようになります。

 「サービス貿易協定に反対する団体の不満を引き起こし、この行為は違法、違憲で民主的な手続きのやり方に違反しており、根本的に密室政治的手法で進めるやり方であり、ここに黒色島国青年戦線(やまもも注:2012年に台湾の大学生、大学院生らが中心となって結成した学生運動団体)は立法院に攻め入ることを決定した。
 「馬英九政権のやり方に天は怒り人は恨んでおり、いま各界は私たちを支持しており、馬英九政権としては全面的にに検討せざるを得なくなった。
 
 ところで、私がこの台湾の学生運動で一番に疑問に思ったことは、なぜ立法院を占拠した学生たちを警察がただちに強制排除しなかったということです。ネット検索で判明したことは、どうも与党の国民党内で総統の馬英九と立法院院長の王金平との権力争いがからんでいるようです。しかし、国民党内にそのような内紛があったとしても、立法院(国会)が学生に占拠されたのですから、立法院の院長(議長)として黙認できるとは思えません。

 学生の立法院占拠に対する王金平の表向きの発言を知りたくなり、「Yahoo奇摩 台湾」をあれこれ検索し、なんとか台湾唯一の国営通信社である中央通訊社の2014年3月20日の記事に「王金平:学生を保護し追い払わない」と題された記事を見つけました。

 同記事によると、立法院に院長(議長)として最高の権限を持つ王金平が立法院占拠後3日後の午前中に官邸の外でメディアが警察の力によって学生を追い払うのかどうかとの質問に対しつぎのように答えたそうです。

 「王金平上午在官邸外受訪,媒體詢問是否會動用警察權驅離學生?他說,國會自主對象是立法委員,但目前在議場裡的不是立委,所以不是警察權問題,而是社會治安問題。目前還是保護學生為主,不會強制驅離,並叮嚀學生及抗爭群眾,天氣轉冷要多保重身體健康。

 私の中国語能力の不足のためだけでなく、同じ中国語とはいっても台湾で使われている公用語(「国語」と言われています) の北京語は大陸の北京語表現(「普通話」と言われています)と微妙に違っているので、意味がよく分らないところがあります。それでも恥を忍んで自己流に和訳すると以下のようになります。

 「国会が自主的に行う対象は立法委員ですが、いま議場内にいるのは立法委員ではありません。ですから、警察の権限とは関係なく、社会治安問題です。いまはやはり学生を保護することを優先し、強制的に追い出したりはしないし、さらに学生や抗議する大衆とは穏やかに接したいと思うし、天気も急に寒くなったので健康にはくれぐれも注意してもらいたい。

 流石は海千山千の政治家ですね。おそらく後で揚足を取られないようにこんな意味不明のことを言ったのだと思います。ただ、立法府の最高責任者として立法院を占拠した学生たちを強制排除しないということだけは分りますね。そのような王金平の態度が学生運動に幸いして長期占拠が可能となり、4月6日には王金平が議会を占拠する学生たちに「在兩岸議監督條例草案完成立法前,將不召集兩岸服務貿易協議相關黨團協商會議(中台の議案を監督する条例草案が立法化されるまで、中台サービス貿易協議に関する国会議員による審議は行わない)」と約束するような成果を挙げることが出来たのですね。台湾のこの学生運動から学ぶべきことは多々あると思いますが、日本でも国会占拠の戦術を真似ようなんてことは考えないで下さいね。


 なお、最後に台湾のひまわり学運と議会占拠について、浅野和生編著『中華民国の台湾化と中国』(展転社、2014年12月)に基づいて、台湾住人の「台湾人意識化」の増大とサービス貿易協定の問題点ついて補足しておきたいと思います。

 まず、同書によると台湾に住む人々はつぎの4グループに分けられるそうです。第一グループはマレーポリネシア系の先住民族、第二グループが17世紀から18世紀に主として中国南東部の福建省から移住した閔南人、第三グループがそれより少し遅れて広東省や福建省の山岳地帯から移住した客家人、第四グループが1945年以降に大陸中国から移転した人々で外省人と呼ばれるそうです。なお、第二グループと第三グループを併せて一般に本省人と呼びます。

 これらの四グループに分けられる台湾住人の「台湾人意識化」の増大について、同書の33頁~34頁に台湾の国立政治大学が2014年6月に実施した世論調査に基いてつぎのように紹介されています。

 「戦後の台湾からは三十数万人の日本人が退去して、それと入れ替えに九十万人といわれる中国人が台湾に流入してきた。戦後の国民党政府は、台湾の脱日本化と中国化のために教育政策他を進めたが、今日まで五十年を超える大陸との断絶期間のなかで台湾に居住する人の構成比では、外省人一世が減少する一方なのに対して、第一世代とは意識が異なる外省人第三世代が増え続け、無論、この間に本省人も増加した結果として、台湾では中国人意識は台湾人意識に置き換えられつつある。
 また、八〇年代から経済発展を続けて台湾が豊かになるとともに、九〇年代に李登輝政権の下で政治的民主 化と、教育の台湾化が進められたことの影響と相まって、しだいに台湾に誇りをもち台湾人アイデンティティをもつ人々が台湾では増え、それを堂々と表明する人々が増えるようになった。
 こうして台湾化教育から十年あまりが経ったころ、国民党馬英九政権が誕生すると、急速に中台接近が進み、人的交流が一般化した。すでに述べたように、台湾の人々は現実の中国人との接触を通して、自分たちは中国人とは異なる台湾人だということを改めて皮膚感覚としてもつようになり、六割が中国人ではない台湾人としての意識をもつにいたった。これに『中国人でも台湾人でもある』という人を加えると、今日の台湾では実に九割以上が台湾人意識を抱いているという状況になった。つまり、台湾の人々のアイデンティティの台湾化が進んだのである。


 また同書の143頁~145頁には「中台サービス貿易協定の問題点」についてつぎのように解説しています。

 「同協定が台湾の世論において懸念された点は以下の通りである。
 中国側の開放リストによると、合資による証券会社を設立する際、中国における適用範囲は上海、福建、深センの三都市に限られ、電子商務については、その拠点は福建省のみに適用される内容である。また、資金力に勝る中国企業が本格的に台湾に進出した場合、民間の中小企業が多い台湾は到底中国企業に太刀打ちできず、台湾の市場構造が中国企業に取って代わられる危険性がある。
 出版業界を例にとると、言論・表現の自由が保障されている台湾では、どんなに政治的に偏った本でも自由に出版することができる。しかし、中国に進出する台湾の出版社は、中国当局の言論統制と出版物の検閲を受けるため、中国共産党に批判的な書籍、あるいは台湾独立や李登輝元総統に対して肯定的な記述のある書籍を出版することができない。また、現在、台湾には数千社の出版社があり、その大半は中小企業であり、中国に進出して事業展開する資金力はない。一方、中国の出版社は数百社で、すべて中国共産党が管理している。もし中国の出版社が本格的に台湾に進出した場合、台湾の出版社は太刀打ちできない状況である。
 通信に関しては、中国の通信機器メーカーなどが台湾国内の通信網 やデータセンターなどのメンテナンス業務を担った場合、一般市民の通信や通話が盗聴され、金蔑関を含む企業の業務用データが流出し、サイバー攻撃のリスクも高まる。さらに、個人情報や個人のプライバシーの保護が軽視される危険性が高まる。
 最大の問題は、台湾に進出する中国のビジネスマンが一定の金額を台湾に投資した場合、あるいは台湾に投資して会社を設立した場合、一件の投資につき会長、管理職や技術者など四名とその家族に台湾の居留ビザを与えることである。居留ビザは無制限に更新できるだけでなく、居留ビザを取得した後、四年後に市民権を付与する仕組みになっている。さらに、家族の子供に子孫が誕生した場合、当然その子も台湾の市民権を獲得することができる。すなわち、数年間台湾に定住して市民権を取得した後、台湾の総統選挙、県市長選挙や立法委員選挙に投票できてしまうのである。したがって、香港、チベットやウイグル自治区と同様、中国人が次々に台湾に入り込み、最終的に台湾の政治を牛耳ることが可能になる。しかも、中国人が台湾に移住した後、直ちに台湾の国民健康保険に加入することができるため、日本や台湾のような健康保険や医療制度が整っていない中国にとって、非常に魅力的な話である。
 以上の諸点が、各種マスコミやネット上で指摘された。


 こんな危険な問題点を持つ「中台サービス貿易協定」の内容が次第に明らかになり、台湾人としてのアイデンティティが強まっていた台湾住民の反発が増大し、「ひまわり学生運動が広範な台湾住民の支持を得ることになったのですね。

2015年12月9日



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