宮部語録に見る宮部みゆき(完)
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  宮部語録に見る宮部みゆき完)

Q5.宮部みゆきのミステリーと松本清張の影響について


 宮部みゆきは様々なジャンルのものにチャレンジしていますが、やはりその活動の中心はミステリーですね。彼女が作家を志したときも、「ミステリー面白いから、じゃ、自分でも書いてみよう」と最初からミステリーに取り組んだということを『エンパラ』で大沢在昌に語っていますし、また同書でつぎのようなことも言っています。

「そもそもミステリーが他のジャンルと違うところは、最初から読者を想定して書かれているということだと思うんです。だから、読んでくれる人が絶対必要だったんです。」

 もっとも、日記を書くときだって無意識的につい読者を想定してしまうと言われるくらいですから、人は誰だって文章を書くときにそれを他の人に読んでもらいたいという願望がありますね。でも、宮部みゆきには自分の執筆活動を単なる自己満足に終わらせたくないという思いが強かったようですし、人を楽しませたいというエンタティンメント精神が人一倍旺盛だったようです。

 宮部みゆきは、同じ『エンパラ』のなかで、カルチャー教室でも「一本目からベタベタのエンタテインメントでした」と大沢在昌に語り、また同人雑誌を長くやってきたという年長の人から「今からエンタテインメント書くなんて二十年早いと言われ」たとき、「大きなお世話だって、喧嘩しちゃった」というエピソードも紹介しています。

 多くの人に読んでもらいたい、そして多くの読者を楽しませたいというエンタテインメント精神が彼女をミステリーの世界に向かわせたのでしょうね。

 ところで、『週刊朝日』2001年9月14号に林真理子と宮部みゆきとの対談が載っているのですが、そこで林真理子が作家・宮部みゆきについてつぎのような評価をおこなっています。

「私、雑誌に『宮部みゆきは松本清張の長女である』と書いたことあるんですけど、みんなが『ぴったりだな』と言ってました。松本清張さんの継承者って、やっぱり宮部さんかなと思う。」

 宮部みゆき作品のファンとしてとっても嬉しい評価です。なぜなら、松本清張は日本のミステリーにとってとても大きな存在ですからね。松本清張を抜きにしていまの日本におけるミステリーの普及、発展を語ることはできません。松本清張の作品が多くの読者から歓迎され、ベストセラーとなったのは1950年代末からですが、その頃まだ小学生だった私もベストセラー作家・松本清張の名前は強い印象を残しています。

 例えば、私の父はほとんど小説などには関心のない人でしたが、その仕事関係のお堅い専門書ばかりの本棚に、あるときカッパのマークの付いた小説が一冊差し込まれました。その本は、確か光文社のカッパノベルスの『ゼロの焦点』だったと記憶しています。おそらく、小説をほとんど読まない私の父でさえ、世間の話題についていくために松本清張の小説を店頭で購入したのでしょう。それくらい、当時において彼の作品が評判を呼んでいたのですね。

 この松本清張について、郷原宏『このミステリーを読め』日本編(王様文庫、三笠書房)はつぎのように紹介しています。

「松本清張が日本の推理小説史に新しく付け加えたものは多いが、何といっても最大の功績は、『お化け屋敷の掛小屋』みたいな従来の探偵小説に、犯罪の動機と社会的背景という、まったく新しい視点を導入したことである。」
「この作家の登場によって、それまで一部マニアのための『異端の文字』であった推理小説は、広く社会に開かれた『市民の文学』になった。そして折からの読物雑誌や週刊誌の創刊ラッシュとも相まって、推理小説はいわゆる『中間小説』の主流の座を占めることになる。」

 では、そんな松本清張のことを宮部みゆきはどのように評価しているのでしょうか。松本清張は1992年8月に死去しているのですが、彼を追悼して出された『松本清張の世界』(『文藝春秋』1992年10月臨時増刊号)で宮部みゆきは「名作『ゼロの焦点』を紀行する」という紀行文を載せていますが、そこで彼女は松本清張についてつぎのように書いています。

「いったん推理小説の世界に足を踏み入んだら、空を見上げればいつでも太陽や月を見ることができるのと同じように、そこに『松本清張作品群』がありました。その上で、『作家・松本清張』に憧れ、同じような考え方を踏襲しながら創作する作家もあれば、反発し、違う道を選んで書き続ける作家もあるというふうに、影響の現れかたは様々でしょうが、誇張抜きで、『松本清張』の洗礼を受けずに推理小説を書いている若手作家は一人もいないと、きっぱり断言できると思います。」

 彼女はまた『だからミステリーは面白い』でも松本清張についてほぼ同様のことを述べていますが、さらにつぎのように語っています。

「清張さんは、大変なトリック・メーカーでありトリックの使い方の上手な作家であったし、それと同時に弱い者に対する姿勢が、とても優しい人だったと思う。人の苦労とか努力とかの結果が、本当に悲惨な結果になることはあっても、その人には何かが残る、決して徒労には終わらせないという、そういう作品が多いのは、清張さんが苦労人だったからだと思うんです。私は、いっぱい影響を受けてると思うし、このさき私が、例えば、スペース・ファンタジーを書いたとしても、やっぱり清張さんの影響は受けてると思います。意識することさえないほど、いっぱい影響を受けている大作家だと認識しています。」

 ところで、松本清張と言えば社会派ミステリーという印象が強いんですが、宮部みゆきも『火車』や『理由』などの作品にはそのような傾向が濃厚ですね。私が最初に読んだ宮部みゆき作品は、ローン破産をテーマにした『火車』ですが、この物語には他人の戸籍を奪って自らの過去を消し去ろうとする新城喬子という女性が出てきます。いや、彼女は物語の最後にしか出てこないのですが、休職中の刑事の本間俊介が失踪した関根彰子の足跡を追っていくなかで、関根彰子に成りすましていた新城喬子という女性の実態が人々の話を通じて次第に浮き彫りになっていきますね。この『火車』を読んだとき、私は松本清張の『砂の器』のことをすぐ連想しました。この作品でも、ベテラン刑事の今西栄太郎が殺人事件を解明していく過程で和賀英良による他人の戸籍を使っての過去の抹殺と変身が暴き出されていきますね。

 もちろん、『火車』は松本清張の『砂の器』とは大いに異なる独自の世界を持った優れた作品なんですが、また松本清張たちが創り出した社会派ミステリーの優れた後継小説でもあると思います。宮部みゆきが最初に書いた長編小説『パーフェクト・ブルー』も製薬会社の新薬開発競争や入学者獲得をめぐっての私学間競争を殺人事件と絡めて展開させていましたね。時代ミステリーだって、『震える岩』が赤穂浪士の「義挙」の背後にある封建道徳への疑問が提示されていたように、やはり江戸時代の社会矛盾がいろいろなところにしっかりと描き込まれていますね。そしてなによりも小説のなかで人間をしっかりと描き込んでいるところが共通していますね。また、宮部みゆきが松本清張を評して、「弱い者に対する姿勢が、とても優しい人だったと思う」と言っていますが、それはそのまま宮部みゆき作品にも当てはまりますね。

 なお、松本清張の推理小説には犯罪の動機と社会的背景がしっかりと書き込まれ、それが当時の読者にとても新鮮な印象を与えたと言われますが、また多くの読者が彼の作家としてのつぎのような心情をその作品の行間から敏感に感じ取っていたことも見逃してはならないと思います。

「自分自身がうらぶれた裏道をとぼとぼとひとり歩いているようなものなので、灯のかすかにもれる裏道を歩いているような人物に興味をもつ。行動的な強い人間は自分の性分に合わないと思っている。」

 そしていま、宮部みゆきファンの多くが彼女の作品のなかの登場人物たちにまた同じような想いを投影させているのではないでしょうか。もちろん彼女は松本清張とは非常に異なる独自の作風を創り出していますが、またこのミステリーの大先輩が残した豊かな遺産をいろいろ受け継いでいるんですね。

 こんな宮部みゆきを評して、福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社)は、「現代文学の一方を背負って立っており、『宮部がいるから』という安心をもたらしてくれる。かって松本清張が占めていた位置にもっとも近い作家である」としていました。私は、『作家の値うち』を書店で立ち読みしていて、この文章が目に入ったときにとっても嬉しくなり、そのままこの本を衝動買いしてしまったものです。


Q6.宮部作品とスティーヴン・キング作品との関わりついて

 宮部みゆきが彼女の作品『龍は眠る』の冒頭につぎのようなエピグラムを載せています。

  この能力は完全に隠されている。さもなければイカサマの海に氷山の一角をのぞかせながら、数世紀にわたって潜在し続けるということはとうてい考えられない。
                                    デーヴィット・R・コングレス
                                          「あばかれた影」

  ところでデーヴィット・R・コングレス「あばかれた影」とは、スティーヴン・キングがその出世作『キャリー』のなかで創作した架空の書名ですね。スティーヴン・キングの『キャリー』は「この能力」すなわち,念動現象(テレキネシス)という超能力をテーマにしていますが、宮部みゆき作品の主人公には人の心を読みとったり、念力放火、未来予知等の超能力を持った人物(サイキック)が多いですね。『龍は眠る』もそのような超能力者を題材にした宮部作品ですが、この小説について宮部みゆきは『だからミステリーは面白い』の対談のなかで、それがスティーヴン・キングへの「オマージュのつもりで書きました。幼稚なエピゴーネンと言われてもいいと覚悟して」と語っており、それくらいスティーヴン・キングの『ファイアスターター』や『デット・ゾーン』が好きなんですとも言っています。

 スティーヴン・キングへのオマージュと言えば、映画「クロスファイア」の原作の一つである「燔祭」(『鳩笛草』所収)もやはり同じくスティーヴン・キングへのオマージュとして書かれました。そのことは『キネマ旬報』2000年6月下旬号の金子監督との対談で同作品に触れて、「ゆくゆくはスティーブン・キングへのオマージュみたいにして、パイロキネシスの女性を書きたかったものですから」と明確に語っています。小説『クロスファイア』の文中において、念力放火のことを聞かされた清水という刑事が「スティーヴン・キングの小説じゃないんですよ。いい加減にしてくださいよ」と言ったり、パイロキネシスという超能力を持つヒロインの青木淳子が秘密組織のガーディアンからの電子メールを読むために音声認識装置に向かって言うパスワードがスティーヴン・キングの作品名「ファイアスターター」だったりします。

 『本所深川ふしぎ草紙』の新潮文庫版の解説には、「スティーヴン・キングに出会ったのが、宮部みゆきの素養を磨くことになったのだろう」と指摘していました。残念ながら、私はこのスティーヴン・キングの作品をそれまで読んだことがなかったので、Encalta98で調べてみました。同事典には、このスティーヴン・キングという作家について、「アメリカの作家。モダン・ホラーの旗手として絶大な人気がある」とあり、「1973年に出版された初の長編『キャリー』は、念力で物をうごかす超能力テレキネシスをつかい、高校の同級生に復讐(ふくしゅう)して死においやる少女の物語である。75年にブライアン・デ・パルマ監督により映画化されたことも手つだい、アメリカ国内だけで300万部が売れた」こと、その他に「シャイニング」(1976)、「ペット・セマタリー」(1983)、「クリスティーン」(1983)、「IT」(1986)、「ミザリー」(1987)、「ダーク・ハーフ」(1989)、「ニードフル・シングス」(1991)、「ローズ・マダー」(1995)などの著作があることなどが書いてありました。

 宮部みゆきがスティーヴン・キングの作品に最初に出会ったのは中学2年生の頃だったそうです。その作品は『キャリー』だったのですが、そのことについて宮部みゆきは『週刊ポスト』2003年5月23日号での浦沢直樹との対談でつぎのように言っています。

 「技法的に凝った小説で、作中にインタビューのやりとりが混ざっていたり、この世に2つとない小説だと思ってしまいました(笑)。『小説って、こういうふうに書くのか』って中学生ながら感動しました。」

 作中のインタビューのやりとりと言えば、直木賞を受賞した『理由』がその方法を多用していますね。そこにはキングの『キャリー』からの影響があるのかもしれませんね。宮部みゆきはまた『だからミステリーは面白い』のインタビューで、「私はスティーブン・キングが好きなんですけど、やっぱりキングの小説も、こんなこと絶対あるかっていうようなことが、いかにもあるように描写されている。それに憧れてるのかな」と述べるとともに、彼の作品のなかで特に好きなものについてつぎのように述べています。

 「選びにくいですが、初期の物でしたら、恐いという点では『呪われた町』、完成度では『シャイニング』、共感できるドラマ性では『ファイアスターター』でしょうか。ただの恐怖作家ではないところを見せたのは、やっぱり『スタンド・バイ・ミー』とか『ゴールデン・ボーイ』ですね。あとは、短編もいいですね。短編作家としては、上手い人じゃないんですけど、時々いいものがあります。」

 このように宮部みゆきはスティーヴン・キングのファンですから、彼女の作品に様々な影響を与えているでしょうね。『ファイア・スターター』のチャーリーという名前の幼い少女の怨念の火炎は宮部作品の『クロスファイア』の青木淳子にストレートに引き継がれていますね。いや、幼いチャーリーが日本に転生して青木淳子になったと言うべきかもしれませんね。また、『デッド・ゾーン』におけるジョン・スミスの過去や未来を透視する超能力を持つがゆえの苦悩は『龍は眠る』のサイキック・織田直也や『蒲生邸事件』の時間旅行者・平田の苦悩に通じていますね。

 それから、スティーヴン・キングは、『キャリー』において幾つかの架空の文献の引用文を交互に引用させながら物語を展開させることによりこの小説にリアリティを与えていますが、宮部みゆきも直木賞受賞作『理由』で様々な人間の証言から物語を構成させてルポルタージュ風の小説に仕上げており、そんなところにもキングの影響が見られるかもしれませんね。また彼女は『SF Japan』 2001年春季号で、自作のSFファンタジー『ブレイブ・ストーリー』について、「キングが『タリスマン』書いてるから、私もやっぱりファンタジー書きたいっていう気持ちもありましたね。『ブレイブ・ストーリー』はほんとに『タリスマン』へのオマージュみたいな感じで書いていました」と語っています。なお、『タリスマン』はスティーヴン・キングとピーター・ストラウブとの共作で、12歳の少年が 病気の母を救うため、タリスマンを探してこの世界と異世界との間を跳躍しながら冒険の旅をしていくというファンタジーです。


Q7.宮部みゆきの作家としての目標について

 『だからミステリーは面白い』で井沢元彦から今後の抱負を聞かれたとき、宮部みゆきは阿刀田高が小説家に必要とされる仕事として「最後に残される最もしなければならない仕事は、たくさんの人の眠れない夜を慰めることです」と語ったことを紹介し、「これは名言だと思いますね。私もそれを忘れずにいたいと思います」と答えています。

 私は、このような彼女の作家としての抱負を読んだとき、赤川次郎『ベビーベッドはずる休み』(集英社文庫)の解説文で宮部みゆきが赤川次郎作品のなかには「蕭々と孤独の風が吹いている」と指摘していたこと、またその解説文が宮部みゆき自身の作家としての目標をも自ずと語っていたことを思い出しました。それで、同解説文から引用する箇所がいささか長くなりますが、ここで紹介したいと思います。

 「赤川さんの作品世界は、たしかに楽しく、明るく、ユーモアに彩られ、読む者の心をほんわかと温めてくれます。でも、よく耳を澄ませると、そこにはいつも、蕭々と孤独の風が吹いているのが聞こえるのです。
 その孤独の風は、人けのない山中の森の奥深くで、梢を鳴らし、夜空に月を凍りつかせてしまう. ――というタイプの風ではありません。それは、常に人のあいだを吹き抜けている風です。書類を抱えてビルの谷間を歩くとき。早朝のプラットホームで通勤快速を待っているとき。出掛けるあてもない休日、一人きりでぽつりとしていて、部屋の空気を入れ替えようと、なんとなく窓を開けたとき。そんなとき、貴方の、貴女の、君や僕の肩の上を吹き抜けてゆく風なのです。言い換えれば、それは都会の風、現代の風でしょう。」
 「人が――悲しいし、もどかしいし、悔しいけれど、心の底から理解しあうことなど所詮不可能な人間同士が二人寄り添えば、そこはもう『都会(まち)』であり、そんなニ人の肩の上を吹いてゆくのは『都会(まち)の風』なのです。」
 「作家はみな夢を織り、それを売るのが仕事です。より美しく、より楽しく、よりリアルな夢を――と志す作家もいれば、できるだけ奇想天外な夢をと望む作家もいます。現代社会への怒りと問題提起をこめて、あらまほしき社会の姿を夢に織り成す作家もいれば、現実には経験できないような危機や冒険を乗り切る愉しみを練りあげる作家もいます。
  赤川さんは、そうした夢織人のなかでも、とりわけ腕のいい創作家であり、そして、一本一本の糸を撚り合せて物語を織ってゆくとき、糸のあいだに、(人の心は温かくあってほしい)(夢は輝いていてほしい)(愛は冷めないものであってほしい)という願いを、想いを、ひとつひとつ挟みこんでおられるのではないかと、わたしは思います。
  そんな想いを夢の織物にたくしてゆくのは、現実がそうではないことを――悲しいけれど、そうではないことを――知っているから。
 人はみんな孤独で、死ぬときだけでなく、生きているときも一人ぼっち。理解しあうことも、愛しあうことも、所詮は不可能なのだ。現実はそんなものだ――
  でも。
  でも、だからこそ、希望は失わないでいてほしい。所詮一人ぽっちだかちこそ、一生に一人てもいい、理解しあえると思う人、理解しあいたいと思う人に巡り合えたとき、その素晴らしさがわかるのだ。相手がそこにいてくれることの価値が見えるのだ。
  だから、希望を捨てないてください 今どんなに辛くても、淋しくても、ねえ人生はもともとそんなもんなんだよ。いいことは、幸せは、これから未来のどこかでやってくるんだよ。ちょうど、このヒロインたちにとってそうであるようにね……。」
 「読者は、たとえ意識していなくても、赤川さんの作品の行間を吹き抜ける『孤独の風』の音を聞いています。それが孤独を嘆いているのではなく、孤独を慰める音色なのだということを感じながら。
  そして同時に、織り成される物語の面白さは、我々読者の現実の孤独、退屈、怒り、淋しさを、たとえ一晩でも癒してくれるのです。」

  みなさん、どうですか。この赤川次郎の作品についての宮部みゆきの解説は、そのまま彼女の作品に当てはまるのではないでしょうか。私たち読者は、宮部みゆきの作品の行間に孤独の風の音を聞き、しかしその音色によってまた孤独を慰めているのではないでしょうか。

 この他、宮部みゆき作品理解のためにまだまだ知っておくべきことがあると思います。それで、もしみなさま方のなかで宮部みゆきに関連するなにか興味深いデータをお持ちの方がおられましたら、そのデータの載っている文献名や重要箇所の引用文などを掲示板あるいはEメールで教えていただきたいと思います。なお、その場合、お教えいただくデータやその引用文などが掲載されている文献名、著者名、発行年月日、出版社名なども詳しく教えていただけたらありがたいと思います。


 なお、このページで引用した文献名を出版年月日順に一覧表にして下にまとめてみました。 

 赤川次郎『ベビーベッドはずる休み』(集英社文庫、1991年 4月)の解説
 クレイグ・ライスの『スイート・ホーム殺人事件』の紹介文(早川書房編集部編ミステリ・ハンドブック』ハヤカワ文庫、1991年9月)
 「名作『ゼロの焦点』を紀行する」(『文藝春秋』1992年10月臨時増刊『松本清張の世界』)
 林真理子との対談「山本賞受賞の下町派<~ステリー作家」(
『月刊Asahi』1993年7月)
 高橋克彦・大沢在昌・宮部みゆき・井沢元彦『だからミステリーは面白い〜気鋭BIG4対論集』(有學書林、1995年3月)
 手塚治虫『ブラック・ジャック』第13巻(秋田文庫、1995年5月)の解説
 縄田一男との対談(縄田一男『大江戸ぶらり切絵図散歩』、PHP研究所、1995年5月)
 「ただ茫々と」(『司馬遼太郎の世界』、文藝春秋、1996年)
 杉浦日向子との対談(杉浦日向子『対談 杉浦日向子の江戸塾』、PHP研究所、1997年9月)
 大沢在昌『エンパラ』(光文社文庫、1998年6月)
 萩尾望都『ポーの一族』第2巻(小学館文庫、1998年7月)のエッセー
 「思い出と寂しさと」『江戸川乱歩賞全集』第2巻(講談社文庫、1998年9月)
 「教室の空気」(山村正夫『わが懐旧のイタ・セクス・アリス』、KSS出版、1998年11月)
 長谷日出雄との対談(『本とコンピュータ』1999年夏号)
 綾辻行人『セッション』(集英社文庫、1999年11月)
 「知りたい作家の素顔─宮部みゆき」(「朝日新聞」2000年5月4日)
 「自分はダメだと感じても、あきらめないで」(『生きるタネ』、ポプラ社、2000年7月)
 「あの場面にプレーバック」(「朝日新聞」2001年3月4日)
 「『模倣犯』についての作者へのインタビュー」(『週刊ポスト』2001年4月20日号)
 「小説はコスプレだ」(高橋克彦『ホラー・コネクション』、角川文庫、2001年7月)
 林真理子との対談(『週刊朝日』2001年9月14号) 
 半村良『どぶどろ』(扶桑社文庫、2001年12月)の解説
 東雅夫との対談「〈幻想と怪奇〉にひたる悦楽」(『小説推理』2002年1月号)
 山本一力との対談「時代小説の新しい広がりに向かって」(『オール讀物』2002年3月号)
 「私が時代小説を書くようになった理由」と題されたインタビュー(『歴史街道』2002年5月号
 宮城谷昌光との対談「『言葉』の生まれる場所」(『本の話』2002年12月号)
 浅田次郎との対談「「啖呵切る ご先祖様ぞ 道標」(『小説すばる』2003年1月号)

 浦沢直樹との対談(『週刊ポスト』2003年5月23日号)

                              
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