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鹿児島の市電と桜島
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鹿児島の街と桜島 桜島の雄大な姿は、鹿児島に住む人々の日々の生活の中に自然と溶け込み、人々と哀歓を共有して様々な顔を見せてくれます。
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鹿児島の市電と桜島 |
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書店の目立つところに河出文庫から出された獅子文六『ちんちん電車』(2006年4月)が大量にどーんと平積みされて置いてありましたので、作者と書名からその文庫本をすぐに購入しました。 私が子供の頃、獅子文六((1893-1969年)は非常な売れっ子作家で、新聞の連載小説やラジオ放送、さらには映画などで獅子文六の名前はいつも目や耳に入って来ていましたし、中学校のときには文庫本になっている『悦ちゃん』『胡椒息子』『おばあさん』『てんやわんや』『自由学校』『青春怪談 』等を購入して愛読していたものです。 そんな作者が「ちんちん電車」すなわち路面電車について書いた本ですから、前から古書店で探して購入したいと思っていました。今回の河出文庫の『ちんちん電車』の奥付を見ますと、1966年に朝日新聞社から単行本として出されたものを新たな文庫化したようです。 単行本として出版された1966年といえば、日本でもモータリゼーションの進行が始まった時期であり、1960年に大阪市電の港車庫―大阪港間が廃止されたのを皮切りに各都市の路面電車の部分廃止が実施され、東京都でも1963年に杉並線が廃止されました。 ですから、獅子文六は『ちんちん電車』のなかで、「ちんちん電車」の便利さ、素晴らしさを力説するとともに、「曾ての東京の交通機関の王者もついに、路上の邪魔者扱いをされる時勢になったが、直ちに同調できぬ理由を、私は山ほど持ってる。"ちんちん電車"よ。まだ、まだ、君は働ける。遠慮しないで、まだ、まだ、走ってくれ」と言わざるを得なかったのですが、その願いも空しく、1967年には銀座線が廃止され、ついに1972年には荒川線を除いて都電は全面廃止されてしまいました。 自ら『ちんちん電車』という本を書いたほど路面電車が大好きな獅子文六ですから、彼が鹿児島の街を舞台にして書いた「南の風」(1941年に朝日新聞に連載)という小説の中でもきっと鹿児島の路面電車が元気に走っているだろうと思い、古書店で同小説が入っている『獅子文六全集』第3巻(朝日新聞社、1968年8月)を購入してみました。 獅子文六は「南の風」には、嬉しいことに桜島のことをつぎのように書いています。
この小説には、さらに甲突川、加治屋町、照国神社、鶴丸城址、私学校跡、城山、天文館通り、山形屋、塩屋町、上荒田なんて名前もどんどん出てきます。バスの女車掌さんだって登場して来て道案内をしてくれます。しかし、どうしたことでしょうか、なかなか出てこないんです、鹿児島の市電が。小説の後半に夜の市電がちょっと登場しますが、本当にちょっと出てくるだけです。うーんガッカリしましたね。 後で『ちんちん電車』を読み返してみましたら、「都電なんて、バカバカしくて、乗れないと思った時期があったことは確かである」と書いてありました。うーん、そうしますと、都電のみならず、あらゆる路面電車に対して「バカバカしくて、乗れない」と思った時期がこの作家にはあったのでしようね。1941年に朝日新聞に「南の風」を連載した時もまたそんな時期に相当し、鹿児島の市電なんてバカバカしくて、小説のなかにまともに登場させる気にもなれなかったのかもしれません。嗚呼、ザンネン!! |