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鹿児島の市電 ランダムノート

鹿児島市電の歴史
鹿児島市電の車両
明治生まれの花電車
電停の案内板表示
電停のベンチいろいろ
懐かしの「交通局標準色」
夏のビール電車
市電・市バスゆ〜ゆ〜フェスタ
一日乗車券、ICカード「ラピカ」
敬老パスの有料化
軌道の芝生化
5車体連結の超低床車ユートラムU
市電無料の日
鹿児島市観光電車


鹿児島の市電の歴史

1912年 12月 鹿児島電気軌道株式会社が谷山線(武之橋―谷山間)で運行開始。
1928年 7月 鹿児島市が鹿児島電気軌道株式会社を買収、鹿児島市電気局を設置して鹿児島市電の営業開始。
1933年 1月 鹿児島市の電気局を交通課と改称。
1945年 6月 空襲で市電が壊滅的打撃を受けて営業が一時中止。しかし、すぐに復旧再開。
1949年 11月 東京から購入した木製ボギー車が鹿児島市電最初のボギー電車(301〜310号)として運行開始。
1952年 10月 鹿児島市の電気局を交通局と改称。
1961年

1963年



1965年

1967年

1969年
1985年
1986年
1992年
2000年
2002年

2006年
2007年

2007年
12月





5月

9月


10月

10月

7月
3月

1月

3
4月

5現在

伊敷線軌道延長運行開始し、鹿児島市電の営業キロ数は19.4キロとなり、全盛期を迎える。
電車乗客数4457万6千人(1日平均 12万1792人) に達するが、これをピークに1960年代中頃からの自動車急増の影響を受けて市電の利用者は減少の一途をたどり始める。
天文館通電停のセンターポール、超低床電車「ユートラム」、電停のスロープ化。


市電の利用者減少に対応するために鹿児島市交通事業経営審議会が設置される。

ワンマン運行開:始
敬老パスの取扱い開始
広告電車の運行開始。
伊敷線、上町線廃止。
市電の全車両の冷房化完成。
併用軌道部分の全センターポール化完成。

全電停のスロープ化工事完成。
アルナ車両のバリアフリー化された超低床電車「ユートラム」運行開始。
敬老パスの有料化(運賃の3分の1負担)
アルナ車両の5車体連結の超低床電車「ユートラムU」の運行開始。
営業距離13.1キロ、現有車両数59両、運転系統2本、電停35、運賃は全区間160円均一。


鹿児島市電の車両

 鹿児島の市電はいま59車両ありますが、500、600、2100、2110、2120、2130、2140、9500、9700、1000形、7000形に分類することができます。 

500形

600形

:1955年から1956年の間に製造された500形は、鹿児島の市電車両のなかで現役最古参です。屋根の上の前照灯と片側の開閉窓の数が8枚あるのが特徴です。定員は96人。 600形は1958年から1963年に製造されており、500形に次いで古い市電車両です。屋根の上の前照灯と片側の開閉窓の数が7枚あるのが特徴で、鹿児島市電スタイルを確立した車雨と言われています。定員96人。

2110形〜2140形

9500形
1989年に鹿児島市制100周年、市電運行60周年を記念して2100形が新造され、さらに1991年から1994年の間に2100形をベースにしてVFFFインバータ制御器を搭載した9車両が鹿児島の市電として製造されています。これらの車両はいずれも採光に優れた大型の客車窓が採用されています。このうち6両は鹿児島市の姉妹都市等の名前が付けられています。定員62人。
1995年から運行されるようになった9500形が鹿児島市電の現在の主力車です。この9500形は1960年代末に大阪市から譲り受けて使用していた800形(市電の車両の約半分を占めるまでになりました)の台車等を改造したものです。丸型の前照灯と尾灯が特徴となっています。定員62人。

9700形

1000形(ユートラム)
2006年11月より発売されたラピトレカの説明によりますと、この9700形は「9500形と車体は同一であるが、800形の改造車両ではなく新造したもの。/9500形のひし形のパンタグラフに対して鹿児島市電初の『く』の宇型シングルアームパンクグラフか特徴となっている。平成10年製造 定具62人」とのことです。 バリアフリーの超低床電車として最初に導入されたのが1000形で、電停との段差はわずか五センチです。2002年から「ユートラム」という愛称で:運行が開始され、現在9台が元気に鹿児島の街を走っています。前後方の2つの運転席(台車)と客車の3パーツに分かれているのが特徴です。定員55人と58人の2種類あります。

7000形(ユートラムU)


1000形に続いて同じくアルナ車両から今度は5車体連結の超低床電車(7000形)を購入し、2007年4月26日から運行を開始しました。この新型車両は、全長18メートルで定員78人(座席24人)の流線型のスマートな車両です。

明治生まれの花電車
 鹿児島交通局には2台の花電車があり、いろんな祝い事や催しがあると運行されて行事に花を添えています。南日本新聞社の『かごしま 路面電車の旅』(2005年5月)はこの鹿児島交通局の花電車についてつぎのように紹介しています。

 「戦前、花電車に使用されたのは1形の7号車。戦後は7号車を改装した26号車が毎回登場、その後は400形のボギー車が引き継いだ。昭和53年から花1号、花2号と名づけられた明治生まれの車両20形(西鉄福岡市内線から移籍)が使用され、おはら祭り(11月2日、3日)のムードを盛り上げています。」

2006年のスポーツキャンプ歓迎花電車 2006年のおはら祭り前夜祭の花電車

 現在使用されているこの鹿児島交通局の花電車について、「南日本新聞」2006.10.14にもつぎのような記事が載っていました。

 「
おはら祭を盛り上げる華やかな花電車。その台車は、一九一一(明治四十四)年生まれの現在“九十五歳”だ。今年も三年に一度の車検を無事クリアし、十一月三日まで鹿児島市街地をにぎやかに運行する。市交通局は『このまま百歳まで、現役で元気に走らせたい』と意気込んでいる。
 花電車の車両は『花1号』『花2号』の二台。市交通局が七八、七九年、福岡の西日本鉄道(西鉄)からそれぞれ購入。西鉄は博多どんたくの花電車として使用していたらしい。市交通局では散水車として使用したこともあったが、八一年からは花電車専用で運行している。」

 なお、西鉄からの花電車購入の経緯については、『かごしま市電物語―廃線・上町、伊敷線への想いを込めて……』(南日本新聞開発センター、1985年12月)にはつぎのようなことが書かれています。

 「赤字経営がつづくなかで、交通局の苦悩もひとしお。そこで考え出したのが、花電車。五十三年七月一日の市電発足五十周年には、市民に明るい印象を植えつけよう、さらに広告収入によって少しでも赤字解消に役立て、市内観光の目玉にしようというもの。
 福岡の西鉄から廃車となった無がい貨車を購入、これは福岡では博多どんたくの花電車として利用したもの。
 花電車は六月二十七日から営業を開始した。一休さん、家なき子、キャンディ、キャンディなどテレビ漫画の主人公の人形や色あざやかな花、それを浮き立たせる五百個の電球、その華麗な絵がらと色合いが市民の目をとらえ、子供たちを楽しませた。」

 また同書では、「華麗に登場した花電車だが、市民サービスにも一役買わねばというわけで、その月の十八日には散水車にも変身させて話題をまいた。/折から炎天と桜島の降灰に市民の不快指数は高まるばかり、それを少しでもやわらげようというのがねらい」と花電車が散水車として活躍したことも紹介しています。




電停の案内板表示

 鹿児島の電停では、乗客のためにどのような案内がどのように表示されているのでしょうか。基本は「市電路線図」「超低床電車で車イスが利用できる停留場」「電車時刻表」、「超低床電車時刻表」で、どの電停にも表示されていますが、電停の特徴に応じてその電停独自の案内も添えられているようです。

  1.鹿児島中央駅前電停の案内板表示
 
  鹿児島中央駅前電停では2系統の市電のみが運行していますが、上の写真の案内板は郡元行きの市電のりばを撮ったものです。
 案内板の上段では、右側に「市電路線図」、左側に上から「電車時刻表」「超低床電車時刻表」「超低床電車で車イスが利用できる停留所」と計4種の案内が表示されています。
 案内板の下段左の案内では、この市電のりばで郡元電停まで行った後、乗換券をもらって1系統の市電に乗り換え、谷山方面か鹿児島駅前方面のいずれかに行く方法を説明しています。それを拡大したのが下の写真です。

  2.天文館通電停の案内板表示
 写真は天文館通電停のG3アーケード側(タカプラ側)の市電のりばの案内板表示を撮ったものです。この市電のりばには谷山方向行きの1系統と郡元方向行きの2系統の両方の市電が停車しますので、上段に「市電路線図」「超低床電車で車イスが利用できる停留場」「電車時刻表」、「超低床電車時刻表」を表示するのみならず、さらに下段に「電車路線のご案内」が表示されています。右の写真がその「電車路線のご案内」を拡大表示したものです。
 


  3.市立病院前電停の案内表示
 
市立病院前電停の案内板に表示されているものは、左から「超低床電車で車イスが利用できる停留場」、「超低床電車時刻表」「電車時刻表」「市電路線図」です。この電停では基本的なものだけが表示されているようですね。



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