top
 鹿児島の市電と街  その4
涙橋電停〜谷山電停
 
涙橋電停
涙橋電停に向かう市電 涙橋電停から専用軌道
 1系統の市電は、郡元電停を過ぎて涙橋電停に向かう途中から専用軌道に入ります。 『広辞苑』では、「路面電車」について「専用の道でなく、市街の一般道路上を運行する電車。市電・都電の類」とあり、多くの人は路面電車といえば自動車と一緒に同じ道路を走っている姿を思い浮かべられるでしょう。しかし、一系統の市電は涙橋の電停辺りから終点の谷山の電停まで専用軌道を走っており、一般車両と一緒に信号待ちをすることなく電停間をゴーッと突っ走ります。ですから、天文館辺りをトコトコ走っているスピードとは体感が随分違います。
 なお、この涙橋電停の「涙橋」という名前の由来は、薩摩藩の藩政時代にこの橋の南に処刑場があり、受刑者を見送る別れの涙の橋だったことからそう名付けられたそうです。そのことについて鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩』(山川出版社、2005年10月)にはつぎのように書かれています。

 「郡元電停から谷山方面に向かう最初の電停は涙橋であるが、本来は新川上流の旧谷山街道にかかる小さな橋を涙橋という。藩政時代、ここの吉野実方にあった処刑場を、この橋のさきにあった境迫門(さかいせと)、今の二軒茶屋付近の谷間に移した。刑場に向かう罪人と家族がこの橋で別れたことから,涙橋とよばれたという。」

 この藩政時代の処刑場を舞台にした短編作品に里見クの「ひえもんとり」があります。同短篇は筑摩書房の『里見ク全集』の第1巻に載っていますが、薩摩藩時代の処刑場における処刑者の生きぎもの争奪戦を描いたものです。特定の地名が挙げられているわけではありませんし、またその地が特定できるような具体的な風景描写もなく、全集第一巻の後ろに付いている里見自身の解説に
涙橋決戦の碑
よりますと、彼の父親が語った「ひえもんとり」の話を題材にして作品にしたそうですが、作品の舞台にした処刑場の跡地を彼自身は直接見に行っていないようです。

 また、前掲の『鹿児島県の歴史散歩』に「涙橋決戦の碑」のことがつぎのように紹介されています。
                               
 「涙橋のたもとに涙橋決戦の碑がある。1877(明治10)年5月,西南我争で,枕崎出身の今給黎久清の率いる軍勢が,谷山へ侵攻しようとする政府軍とこの付近でたたかい、激戦の末敗退した。碑は1927(昭和2)年西郷没後五十年祭でたてられた。

 
南鹿児島駅前電停
 市電の電停とJRの駅が近接

画像をクリックすると拡大
 左の写真には、南鹿児島駅前電停を離れる市電とJR南鹿児島駅のプラットホームに停車しているJRの列車が写っています。右の写真の手前に写っているのが南鹿児島駅前電停で、後ろがJR南鹿児島駅の駅舎です。
 この電停は、JRの駅と近接しており、以前はここでJRから市電に乗り換える乗客が多かったそうですが、1986年にJR郡元駅が完成した後は乗り換え客は減少したそうです。

 
二軒茶屋電停
 懐かしい二軒茶屋電停
 二軒茶屋の電停は私にとって非常に懐かしい場所です。なにを隠そう、私は1979年から1989年までこの電停から坂を上って行った日之出町というところに住んでいたことがあるのです。

 また、この二軒茶屋の電停から市電に乗って通勤していました。
 それから、私の長男が小学生だった頃は、彼と一緒によくこの電停の脇を通って国道225号沿いの春苑堂書店南鹿児島店や、さらには産業道路沿いの Books Misumi 南港店に本の購入兼立ち読みに出かけたものです。

 ところで、二軒茶屋の電停に乗るためには、市電の軌道と平行に走っているJR指宿枕崎線の線路を歩いて渡る必要があるのですが、そこに踏切 、警報機などが2010年3月まで全く無かったので、歩行者は通過する市電やJRの列車に轢かれないよう細心の注意を払う必要がありました。ですから、日之出町町内会では国鉄やJRに何度も踏切設置の陳情を行い、また「左右安全をたしかめて」「あぶない」とスチール製の警告文を出して注意を促していたものです。このことは、拙ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」の2006年1月30日に「鹿児島の市電 二軒茶屋の電停」と題して書いています。

 しかし、この場所で2007年7月に3度目の死亡事故があり、同年11月の町内会の陳情後、2010年3月18日に新たに踏切がこの場所に設置されることになりました。これで二軒茶屋電停を利用する乗客も安心して乗り降りができるようになりますね。

 
 
宇宿一丁目電停
宇宿一丁目電停に停車する市電
脇田電停
脇田電停前の踏み切り風景 JR宇宿駅

画像をクリックすると拡大
 脇田電停から道路を一本越えたところにJR指宿枕崎線の宇宿駅があります。なお、このJR宇宿駅は1985年に開設された比較的新しい駅ですが、『かごしま 路面電車のたび』(南日本新聞社、2002年5月)によりますと、土地区画整理事業に伴う鉄橋架け替え工事のために2001年から仮設ホームが設けられているとのことです。
 朝のラッシュ時にはこの脇田電停を利用する客が多いために、脇田電停発の市電が4便運行しています。なお、脇田電停周辺は昔からなかなか活気のある場所で、私が日之出町に住んでいた頃はよく自転車に乗ってここの商店街(宇宿商店街)に買い物に来ていました。


脇田電停近くを走る市電

画像をクリックすると拡大

画像をクリックすると拡大

上塩屋電停
上塩屋電停前の市電 塩釜神社
 進学で全国的に有名なラサール中・高校のすぐ近くに塩釜神社があります。うっかりするとそのまま素通りしてしまうようなとても小さな神社ですが、同神社の境内の立て札には「谷山史志」から引用したつぎのような文章が紹介されていました。
 「『藩政時代』 上塩屋、中塩屋、東塩屋、西塩屋の各地は谷山郷の塩屋村で、塩の専売制度になるまでは、製塩によって生活を維持してきた所で、中塩屋の塩釜神社がその信仰の中心で分社が東塩屋にもある。住民は半農半塩で、毎年七月から十五夜までは、夜通し塩をたいていたという。」


谷山電停
谷山電停は3代目

 
 市電の1系統の終点が谷山電停ですが、このカラフルで可愛い感じの電停の建物は、1912年に鹿児島電気軌道が路面電車を武之橋から谷山まで初めて運行したときの建物から数えて3代目になるそうです。
 「南日本新聞」1997.05.12の夕刊の記事によりますと、谷山の電停はまず1912年に建てられ、1979年になって初めて建て替えられたそうですが、「屋根とホームがある程度。雨にぬれるのに加え、殺風景との声があった」とのことです。現在の電停は1996年に建てられたものだそうですが、かまぼこ形のおしゃれな電停は利用者に好評とのことです。

 
谷山電停のすぐ近くを走るJRの列車

JR谷山駅

 谷山電停はJR指宿枕崎線の谷山駅と500メートルぐらい離れており、乗り継ぎに不便なので、市電のJR谷山駅への延伸の声が強まっていましたが、2006年4月28日の「南日本新聞」の記事によりますと、延伸によって新たな渋滞が懸念されることや費用対効果から鹿児島市は延伸を断念したそうです。
 
 

鹿児島市電の電停一覧
電停名をクリックしますと、当該電停を紹介するコーナーが表示されます
鹿児島駅前 桜島桟橋通 水族館口 市役所前 朝日通 いづろ通 天文館通 高見馬場



甲東中学前 新屋敷 武之橋 二中通 荒田八幡 騎射場 鴨池 郡元 郡元(南側) 涙橋 南鹿児島駅前 二軒茶屋 宇宿一丁目 脇田 笹貫 上塩屋 谷山 1系統
加治屋町 高見橋  中央駅前
鹿児島 都通 中洲通 市立病院前 神田交通局 唐湊 工学部前 純心学園前 中郡 郡元 2系統

inserted by FC2 system