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騎射場電停に停車する市電 |
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騎射場は学生の町
騎射場は鹿児島大学のキャンパスに近いため、この周辺のお店は鹿大生(鹿児島大学の学生のことで「ろくだいせい」ではなく「かだいせい」と呼称します)がよく利用する飲食店がたくさんあります。
私が二軒茶屋に住んでいた頃(1979年〜1989年)は、この騎射場の「名画座」という映画館によく行っていました。この映画館、建物はかなり老朽化しており、座席のシートも破れが目立ち、館内はネズミの運動会状態、というのはいささかオーバーな表現ですが、お世辞にもおしゃれできれいな映画館とは言えませんでしたが、ときどき昔の名画がB級、C級映画(さらにはピンク映画)と一緒に安い入場料で上映されていたものです。しかし、残念ながらいまはもう存在していません。 |
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鴨池電停から郡元電停に向かう市電と鹿児島県庁 |
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鴨池と鹿児島県庁 |
鴨池に昔は動物園がありました
鹿児島市民にとって鴨池といえば、いろいろお馴染みの施設がたくさんあります。鹿児島県庁や県立鴨池野球場、鴨池市民球場、鴨池公園水泳プール、市立図書館、市立図書館等々。
なお、昔の鴨池には動物園があり、鴨池電停は動物園入り口の電停として非常なにぎわいを見せていたそうです。
私は鴨池iにあった動物園が平川に移ってから以降に鹿児島市に住むようになった人間ですので、実際に鴨池動物園を見たことはありません。しかし、最近になって古書店で『かごしま・市電物語―廃線・上町、伊敷線への想いを込めて……』(南日本新聞開発センター、1985年12月)を入手しましたら、そこに「鴨池公園」という見出しで鴨池動物園のことが載っていました。
それによりますと、鴨池公園は「市民の足を電車にのるように仕向けるための勧誘策」として造られ、動物園の動物も次第に増えて九州一を誇るようになったとのことです。また、高架線上のプラットホームで腰掛けなどもあり駅舎としての雰囲気がよく、動物園の客で賑わった」とのことです。ところが戦争中には上野動物園と同様にたくさんの動物が殺されているとのことですが、戦後になって再び動物園に動物たちが増えていき、また賑わいを見せるようになりました。クマタツさんが戦後間もなくのそんな鴨池動物園とその周辺の思い出を語っておられます。
しかし、1972年開催の太陽国体のために鴨池周辺は大々的に整備され、近くの海岸一帯は埋め立てられ、白砂青松の海水浴場はなくなってしまいました。また動物園も鹿児島市南方の平川に移ってしまい、鴨池周辺の様子は一変してしまいました。現在の鴨池電停は隣に大型ショッピングセンターのある郡元電停があるためかいささか影が薄い電停のような気がします(そう思うのは私だけかな?)。
そんな鴨池電停を降りて、郡元電停に向かって歩いていきましたら進行方向左手に鹿児島県庁が見えましたので、市電がやって来るのを待って県庁と一緒に一枚の写真に収めました。 |
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ダイエー前の郡元電停に停車する市電 |
郡元電停付近の公園の桜 |
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画像をクリックすると拡大 |
郡元電停
郡元電停は、鹿児島の市電の1系統(谷山線
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ダイエー鹿児島店西側広場のブロンズの動物たち |
)も停車しますが、2系統(唐湊線:鹿児島駅前〜天文館通〜高見馬場〜鹿児島中央駅前〜郡元)の終点でもあります。両系統の接続地点ですし、また目の前にダイエーも立っているので、乗り換え客や買い物客でいつもこの電停は賑わっています。私も日之出町に住んでいた頃は、よく家族揃って二軒茶屋の電停からこの郡元電停まで市電でやって来て、ダイエーでショッピングや食事を楽しんだものです。
郡元電停のすぐ前がダイエー鹿児島店ですが、その西側広場にロバ、クマ、ウマ、ヤギのブロンズ像が置いてあります。この動物たち、いまはみんなブロンズで作られていますから、もちろん動き回ったりはしませんが、昔はこのあたりに鴨池動物園(1916年開園、日本で4番目に古い動物園)があって、様々な動物たちの元気な姿を見ることができたそうです。
なお、谷山方面から1系統((谷山〜郡元経由〜鹿児島駅前)に乗って鹿児島中央駅に向かわれる場合、郡元電停で乗換券を受け取って下車され、ダイエー建物手前の一番線乗り場の「2系統」(唐湊〜鹿児島中央駅経由〜鹿児島駅)に乗車され、そこから10電停(乗車時間13分程度)の中央駅前電停で下車されたらいいですよ。
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