十人十席の噺家の高座  
立川志らく師匠の「無精床」

 

立川志らく師匠の「無精床」

 私は、志らく師匠のとてもスピーディな落語が好きで、CD版「志らくのピン」(1)、「志らくのピン」(2)、DVD版「シネマ落語 E.T. 」を購入して楽しんでいます。

 また、師匠には次のような沢山の著作があり、これらも購入して愛読しています。

 『シネマ徒然草』(キネマ旬報社, 2000年2月)、『全身落語家読本』(新潮社。2000年9月)、『らくご小僧』(新潮社、2004年6月) 、『現代映画聖書』(講談社。2005年6月)、『雨ン中の、らくだ』(太田出版、2009年2月)、『シネマ落語』(河出書房新社。2009年11月)、『立川流鎖国論』(梧桐書院、2010年11月)。

 なかでも『現代映画聖書』からは多大の影響を受け、同書でアルフレッド・ヒッチコック、フランク・キャプラ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー等の名監督の映画のことを知り、これらの監督が撮った作品のDVD版を入手してその面白さ、楽しさも知ることができました。

 ところで志らく師匠は著書『立川流鎖国論』で、「それまで談志は『落語は人間の業の肯定』だと言っていた。それが六十代のなかばごろから『落語はイリュージョンである』と言いだした。/落語における会話は、なんだかよくわからないが強烈におもしろいもの。それは非日常であり、まるでイリュージョンだ、と言ったのだ」と書いています。

 そんなイリュージョン落語を体現させたものの一つが「志らくのピン」(1)というCDに収録されている「無精床」だと思います。この噺は、現実の日常世界でお客さんと床屋さんとが交わすであろう会話なんかクソッ喰らえのはちゃめちゃイリュージョン会話で構成されています。

 ある男が急に床屋さんで頭を整髪してもらいたくなり、たまたま通りすがった一軒の床屋に飛び込みます。すると床屋のおやじはものすごい剣幕で「表から来るな、裏へ回れ、余りものはない」とどなります。どうも乞食と間違えられたなと思った男は、「物もらいじゃないよ」と言うと、「結膜炎か?」とビックリするような質問。慌てた男が「乞食じゃないよ」と言葉を訂正しますと、「じゃ、日本書紀か?」とさらにぶっ飛んだ言葉を返してきます。

 困った男は、整髪してもらいたい意思を伝えるために「頭を切ってもらいたい」と言うと、「血が出るぜ」とこれまた信じられないような返事。男は意味が伝わらなかったかと思い(床屋に入って首切りを頼む客はいないと思いますが)、「いい男になりたい」と言い直しますと、「そりゃ無理だ」との返事。この床屋さん、もしかしたらものすごく正直な人なのかもしれませんね。男が「頭をこしらえてくれ」と言い直しますと、今度は「神をも畏れぬ行為だ」と言い返して来ます。業を煮やした男が「床屋だろう」と言うと、「床屋だよ、俺がスチュワーデスに見えるか?」とまたまた予想外の返事。

 こんな調子でなかなか意思疎通が図れなかったんですが、それでもなんとか相手の男が客だと分かると、床屋のおやじは「へいへい、いらっしゃいませ」と態度を急変させ、なんとか整髪してもらえることになります。しかし、床屋のおやじがうっかり手をすべらせて、可哀そうに男の顔から血が出て来ます。すると一匹の犬がさっと近寄って来るではありませんか。男が「シッ、シッ」と追い払おうとしますと、床屋のおやじがもの凄いことを言います。「この犬は性質(たち)が悪い。この前、耳をスポンとやったら、パクッと食べてしまい、人間の耳がうまいと気がつきやがった。それ以来、よだれを垂らしてやって来るんですよ。犬がほしがってますから、お客さん、二つありますから一つやってください」。

 この床屋のおやじ、剃刀をしめらす水を入れた桶のなかにボウフラを二匹飼っており、太郎とナターシャと名付けて可愛がっていたり、とにかく全てがまともじゃないんですが、そんな床屋のおやじの常軌を逸した不条理な言動を志らく師匠がスピーディにぽんぽんと描き出し、うーん、これがイリュージョン落語の面白さなのだなと大いに納得させられます。この志らく師匠の「無精床」を聴いていて、私が若い頃に愛読した山上たつひこの漫画『喜劇新思想大系』のハチャメチャどたばたギャグの世界を懐かしく思い出していました。

鹿児島市で聴いた立川志らく師匠の独演会2回目

2011年7月17日、日本新聞会館「みなみホール」で「立川志らく独演会」が開かれましたので、志らく師匠の大ファンである私は妻と二人でこの独演会に出かけました。

 志らく師匠の独演会は2010年の7月25日に鹿児島では初めて開かれており、今回は2回目になります。まず高座には志らく師匠のお弟子さんの立川らく次さんが上がり、古典落語の「転宅」を話しましたが、噺の最初に志らく師匠のエッセー「南国太平記」(南日本新聞に毎月第一水曜日掲載)のさし絵を担当していますと自己紹介し、会場から自然と拍手が起こりました。もちろん、私たち夫婦も南日本新聞掲載の志らく師匠のエッセーを楽しんでいましたから、「へーっ」と二人で同時に驚きの声をあげ、盛大な拍手を送りましたよ。そんならく次さんの話した「転宅」は有名な噺で、間抜けな泥棒が妾宅に盗みに入り、かえってお妾さんに騙されてお金まで取られるという滑稽話ですが、よく通るメリハリの利いた声で大いに楽しませてもらいました。

 次に志らく師匠が高座に上がり、まず「短命」という滑稽話を話しましたが、枕に「この1年間にいろいろなことがありました」と切り出しましたので、まず東日本大震災のことが話題に取り上げられるのかと思いましたら、意外なことに立川一門内の二つの事件がまず紹介されました。一つ目は前座生活に16年かかった立川キウイさんが二つ目昇進後、今年晴れて真打になったという目出度い話でした。

 二つ目は二つ目の立川×××(立川志の輔師匠のお弟子さんだそうです。なお、「二つ目は二つ目の」とあるのは文章のミスではありません)がのぞき見をしようとして建造物侵入で逮捕された事件でした。志らく師匠は、「落語家のくせにのぞきをしないと興奮しないなんてのは想像力の欠如」だと言ってまず笑わせ、さらに見つかったときに逃げ出さないで「出来心」という噺に出てくる泥棒のように「つい出来心でした。家には長の患いの年寄りもおりまして......」とやればその場で釈放されたに違いないと残念がりましたので会場は大爆笑。身内の事件をネタに、それをギャグにしてしまう噺家精神には敬服させられました。

 枕には志らく師匠の師匠である立川談志師匠のエピソードも声帯模写入りで幾つか紹介し、会場を大いに沸かせていました。例えば9.11のアメリカ同時多発テロ事件直後に首謀者とされたオサマ・ビンラディンの顔写真入りのTシャツを着て電車に乗って周囲を驚かせ、このオサマ・ビンラディンが米軍に殺害された時は大いにその死を悼んだとか、雲仙普賢岳の火砕流で多数の被害者が出たとき、現地の避難所に慰問に出かけた談志師匠が「噴火するような所に住んでるのが悪い」と言い、談志師匠ならではのギャグを理解しない一人の被災者が不謹慎な発言だと怒り出したことに「ここから出ていけ」とやり返し、その被災者は「ここからどこへ行けばいいのか」と困惑したといった話です。

 さて、「短命」は「伊勢屋の旦那がまた死んじゃったんですよ、なぜなんでしょうかね」と訊ねる男に横町の隠居がその理由を身振り手振りでなんとか分からせようとする滑稽噺です。志らく師匠は伊勢屋の養子に入った二人の旦那を対照的な人物として描き出し、ご飯が一粒ずつしか口に入らないような色白の優男と、飯茶碗に盛られた飯をパクッと一口で食べてしまうような色黒の筋肉男と大いに誇張し、隠居が「手と手が触れあい、顔を見ればゾクッとするほどの好い女、あたりを見ると誰もいない。……なあ、短命だ」と繰り返し説明しても全く合点のいかない超鈍感男や、その鈍感男の女房で蝦蟇の油売りの手伝いを始めたという、とても女とは思えないような荒々しい言動の女を次々と登場させ、まさかいくらなんでもそんな優男、筋肉男、鈍感男、荒くれ女房はいないだろうということで会場の爆笑を生みだすイリュージョン落語で大いに楽しませてもらいました。

 中入り後に志らく師匠が話したのは先ほどとガラリと変わって有名な人情噺の「文七元結」で、博打に狂った左官屋の長兵衛が五十両の借金を背負いこみ、見るに見かねた娘のお久が吉原の大店の佐野槌(さのづち)に自ら身を売るところから話が始まります。そのことを知った長兵衛が娘を連れ帰ろうとしますが、佐野槌の女将が五十両を長兵衛に渡し、この金でまず借金を清算し、真面目に働いて今年の暮れには五十両を返しておくれ、それまではお久を店に出さないが一日でも遅れたら容赦なく店に出すよと言います。そんな大事な五十両なんですが、この長兵衛、なんと同じ五十両の金をスリに盗まれたと思って身投げしようとする男にポイと渡すのですから、現代の私たちの感覚からいえば信じられない行為をする人間です。そして、後で身投げ未遂男の勤めている大店の旦那が五十両を返しに来ても、一度出したものを受け取ったら江戸っ子の名折れだなんて言うんですから、呆れて開いた口が塞がらないというものです。ここは蝦蟇の油売りをする荒くれ女房に再度登場願って、粋がっている長兵衛の頭を後ろから思いっ切りどつきたおしてもらいたいと思いましたよ。

 でも、これが「宵越しの金は持たねえや」とお金などに執着せず、やせ我慢する江戸っ子気質に支持されたんでしょうね。こんな江戸の風が吹きまくる噺を私のような鹿児島に住む団塊世代の関西人は正直あんまり楽しめませんでした。

 独演会終了後、志らく師匠のサイン会がありましたので、師匠の著書『落語進化論』(2011年6月)を会場で購入し、サインしてもらいました。


鹿児島市で聴いた立川志らく師匠の独演会5回目

 2014年7月12日、南日本新聞会館みなみホールに「立川志らく独演会」を聴きに出かけました。

 さて開演で最初に高座に上がったのが立川らく次さんで、自己紹介で南日本新聞の志らく師匠のエッセー「南国太平記」のさし絵を担当していますが、ご存知でしょうかと観客に問いかけ、最初に妻が盛大な拍手を送り、つられて会場から三分の一近くの人から拍手が聞こえてきました。志らく師匠の独演会に参加したお客さんたちなのに、案外「南国太平記」のことは知られていないようですね。

 らく次さんの噺は、長屋の連中が集まり、大家から長屋のみんなが呼び出しを受けたが、店賃の催促だろうかなどと大騒ぎする場面から始まります。さては今回の噺の演題はお馴染みの「長屋の花見」かなと推測しましたら、どうもそうではないようです。子どもたちが普請場で砂遊びをしていた時に大家のせがれが黄金の大黒さまを掘り出し、めでたいことなので大家さんが長屋のみんなを集めてご馳走を振舞ってお祝いしたいとのこと。どうも噺は「黄金(きん)の大黒」のようですね。大家の言うことには、長屋のみんなが大家の家に羽織を着て行って、口上を述べてくれとのこと。貧乏長屋のことですから羽織など持っている住人などいるとも思えず、また大騒ぎになりますが、一人だけ羽織を持っているとのことなので、それを順番に来て大家の家に口上を言いに出掛けようと相談がまとまりますが、またまた口上の内容でどうすればいいかと大騒ぎになるという毎度馬鹿馬鹿しい滑稽譚でした。

 次に志らく師匠が高座に上がり、まずマクラで記者会見の時に号泣して世間の度肝を抜いた野々村県議の話から入りましたが、この話題が話題だけに笑いの弾けっぷりが強烈で、その後にマクラのネタとして次々と繰り出される「STAP細胞はあります」の小保方晴子ネタ、ゴーストライター問題の作曲家の佐村河内守(さむらごうち まもる)ネタ、議会のセクハラ野次ネタ、談志ネタ、サッカーW杯ネタ、集団的自衛権ネタ等も大爆笑の連続でした。例えば、もし疑惑を受けた小保方晴子のキャラクターと佐村河内守のキャラクターが逆だったら、世間の反応も「あのやろう、けしからん奴だ」と「いいよ、いいよ許してあげる」と真逆になっていただろうには大笑いしました。

 なお、志らく師匠のマクラに集団的自衛権問題が出てきて、いまの憲法はGHQが無理矢理日本に押しつけたと言う人がいるが、それは間違いで明治に出来た日本帝国憲法が成立する前に千葉卓三郎と植木枝盛の二人がすでに今日の平和憲法と同じような憲法草案をこしらえていたという真面目な話題を語り出しましたので、いささかびっくりしましたが、志らく師匠の話によると師匠は「ドキュメンタリー映画『太陽と月と〜私たちの憲法の人々の情熱〜』にナビゲーター役で出演したときにその知識を得たとのことです。
 
 でも流石は噺家志らく師匠です、何も知らないで出演者の一人としてこの映画の上映会で突然スピーチを頼まれ、会場は左翼の人々で満席で会場の外には右翼が抗議にどっと押しかけている状況を見て、つい鶴田浩二のマネをして「右も左も真っ暗闇でござんす」と言ってしまって会場をドッチラケ状態にしてしまったと言って最後は笑いを取っていました。

 今回の独演会は、マクラでの跳ね飛んだ大爆笑に続けて談志師匠十八番の「やかん」へと続きましたが、この世に知らない ものはないと広言する隠居が長屋の八五郎からゾウの鼻はどうして長いのかと聞かれたときに「ゾウさんの歌」があるがあれは実際には「小ゾウさんの歌」だと言い出し、突然「小ゾウさん、小ゾウさん、おハナシが下手なのね、そうよ弟も下手なのよ」と歌い出しましたので、初めきょとんとしていた会場の観客たちも「そうよ弟も下手なのよ」で一斉にどっと爆笑しました。あの兄弟には気の毒ですが、落語ファン共通の認識になっているのですね。

 中入り後には志らく師匠が初めて高座に掛けたという「藪入り」をしんみりと聞くことができました。この噺、三代目三遊亭金馬の十八番だったとの紹介がありましたが、私も子どものころに金馬師匠のこの噺をラジオで聞いており、金馬師匠の落ちは父親の言葉「ネズミの懸賞で取ったって。上手くやりゃがったな。主人を大事にしろよ。忠のおかげだから」でしたが、志らく師匠は父親が子どもの頬っぺたに口を近づけ、「チュウ」と擬音を発して終わらせいています。

 この日、独演会開幕前に会場で志らく師匠の著作が販売されており、購入したら独演会終了後に志らく師匠にサインしてもらえるとのことでしたので、『銀座噺 志らく百点』(講談社、2013年11月)を購入し、著者の志らく師匠にサインしてもらいました。サイン会では、高座から下りたばかりの師匠の額にはまだ汗がうっすらとにじんでいましたが、サインのみならずしっかりと握手までしてもらいました。そのとき師匠に、今夜の独演会のことはフェイスブック(ありがたいことに友達承認してもらっています)にも書いておきますと伝えました。見てもらえたかな。



鹿児島市で聴いた立川志らく師匠の独演会6回目
 

 2015年7月11日に鹿児島市の南日本新聞会館「みなみホール」で「立川志らく独演会」が開催され、私たち夫婦も大いに楽しんで来ました。

 鹿児島市で開かれる「立川志らく独演会」も今回で6回目になり、私たち夫婦は2010年7月25日に開催された第1回目から今回の6回目までずっと聴きに出掛けており、皆勤賞をいただけそうですね。

... さて開演で最初に高座に上がったのが予想通り立川らく次さんで、2011年7月17日の鹿児島市開催の第2回目「立川志らく独演会」以来4回目の出演です。南日本新聞の志らく師匠のエッセー「南国太平記」のさし絵を担当しているという関係もあるかもしれませんね。

 さて今回の「立川志らく独演会」の演目は、立川らく次「松曳き」、立川志らく「二人旅」、立川志らく「子別れ」の三席でした。

 立川らく次さんの「松曳き」は、今年5月24日に鹿児島市内の黎明館2階講堂で開かれた「桃月庵白酒独演会」でも聞いており、白酒師匠が登場人物の赤井御門守と家老の三太夫とをともにお馬鹿さんに仕立て、両者の間で繰り広げられる滑稽譚として演じていましたが、らく次さんの「松曳き」では殿様はまともな人物のようで、三太夫の粗忽者振りを際立たせていました。しかし、この殿様も自分に姉などいないのに、粗忽者の三太夫から「殿様お姉上様ご死去」との誤報を伝えられて驚ろき涙するのですから、やはり落語世界の住人のようてす。

 立川志らく師匠の「二人旅」は、まずマクラで師匠自身のネット被害のこと(パソコンがウイルスに汚染され、パソコン、携帯などの個人情報が盗まれ、遠隔操作、盗聴等の被害体験)や、2011年に談志師匠が亡くなり、談志師匠の長女の松岡ゆみこ氏から談志師匠が40年前に購入して暮らしていた東京都練馬区の中古の一軒家の庭には談志師匠が愛した八重桜があり、談志師匠の遺骨の一部がこの樹の根もとに埋葬されていることもあり、弟子の志らく師匠に一億円で買ってもらいたいとの依頼があり、この話を耳にしたテレビ朝日が同テレビ局の『大改造!!劇的ビフォーアフター』にその建物のリフォームの様子を取り上げ放送した顛末を面白可笑しく語りました。

 今回のリフォームでは、老朽化が進んでいる談志邸の改善以外にも談志師匠が大切にしていた資料や着物などの救済や整理も行われ、一部を談志ミュージアムとして完成させ、志らく師匠一家はリフォームの済んだ旧談志邸の借家人として暮らすことになったそうです。

 本題の「二人旅」は、江戸っ子二人が旅の途中で退屈を紛らすために謎かけ、尻取り、都都逸作り等をしながら道中を続ける噺ですが、噺家の腕の見せどころはこの二人の取り留めもないような対話を観客を飽きさせずに聴かせられるかどうかです。謎かけで「火事場の纏と掛けてなんと解く。その心は燃えるほど振られる」といった調子で、都都逸作りでは「道に迷って困ったときは、知らなきゃどこかで訊くがよい」なんて実にくだらなくて、志らく師匠は見事にこの道中噺に江戸の風を吹かせていましたよ。

 中入り後に志らく師匠は「子別れ」を演じました。この人情噺は上・中・下の三部構成であり、通常は上の「強飯の女郎買い」を省き、中の「子別れ」と下の「子は鎹(かすがい)」を合わせて演じることが多いのですが、今回は志らく師匠がこの人情噺全編をしっとりと語り、ときどき八百屋のおやじを唐突に登場させて笑いを取る以外は会場の観客も静かにしんみりと聞いていました。

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