十人十席の噺家の高座  
幼少年時代にラジオで聴いた落語の噺
 

 


 私は、2008年4月から約1ヶ月半に渡って腎不全で入院したのですが、退院以降も透析治療を毎週3回受けなければならなくなりました。この透析治療時間中にウォークマンに落語関連のCD、DVDの音声を録音して聴くのが楽しみとなりました。それで、落語関連のサイトも作ってインターネットにアップすることにしたのですが、そのサイトの名前を「十人十席の噺家の高座」と名付けることにしました。

 なお、「十人十席」の「十席」をできましたら「とうせき」と読んでいただきたいと思います。えっ、どうしてそのように読ませたいのかですって。そのような疑問を持たれた方はもう一度前段を読み直してくださいね。えっ、分からない。うーん、私は「長短」という噺に登場する長さんのように気は長くはありませんし、「短命」という噺に出てくる横町のご隠居ほど懇切丁寧に何度も何度も説明を繰り返したりはしません。また「分かるの分からねえのと言うんなら、ええい、かんかん踊りだぞ」なんて乱暴な脅かし文句も言いません。「十人十席の噺家の高座」と私が名付けたサイト名の「十席」をどうぞご自由にお読みください。

 私はまた、ラジオ、テレビ、インターネットの動画サイト等でも落語関連のものを見たり聴いたりする ようになりました。立川志 らく師匠のことはインターネットの某動画サイトで最初にその噺を 聴い てす っかりフ ァ ンになったのですが、そこで聴いた師匠の噺の一つが「松竹梅」でした。

 この「松竹梅」 のお噺の冒頭部分は、出入り先のお店のお嬢さまの婚礼祝いに招かれた松さん、竹さん、梅さんが近所のご隠居さんの家を訪れて、お目出たい祝の席でどんな余興をしたらいいのだろうかと相談します。そのときに松さんが以前やったこととして、真っ裸になってお尻にローソクを突っ込み、そこに火をともし、真っ暗にした部屋の中を「ホタル、ホタル」と言いながら歩き回ったことを自慢げに語るものですから、ご隠居さんを呆 れさせてしまうのですが、私はこの「ホタル」の部分を聴いて、私が幼いころにラジオで聴いたこの噺とそ のときの我が家の寝室の懐かしい情景がパーッと浮かび上がってきました。

 私がまだ小学校に上がる前のことだと思うのですが、幼い私はそのとき両親と一緒に川の字になって寝ていました。枕の近くに箪笥が壁に沿って立てかけられてあり、その箪笥の上に置かれたラジオからこの「ホタル」の話が流れ出てきたとき、両親も私も大笑いしたものです。この落語の「ホタル」が幼い私にとって最初に記憶された落語体験のような気がします。

 私は団塊の世代で、子どもの頃はラジオでよく落語番組を聴いていました。戦後、NHKに加えて民間のラジオ放送局が発足し、浪花節、講談、落語はラジオに適合した娯楽だったため、ラジオ番組でさかんに放送されています。特に落語は大変な人気で、三遊亭円生、三遊亭金馬、古今亭志ん生、桂文楽などの名人の楽しい噺をみんなお茶の間で楽しんでいました。

 では、私が子どもの頃、実際にラジオでどのような噺家のどんな演目が放送されていたのでしょうか。幸い私の書棚に朝日新聞社編『朝日新聞に見る日本の歩み』(昭和28年−29年)がありましたので、同書に載っている朝日新聞縮刷版からラジオ番組欄を探し出し、落語番組をピックアップしてみることにしました。

 春風亭柳橋「甚五郎の大黒」、春風亭柳枝「野ざらし」、橘家円蔵「源平」、柳家小さん「意地くらべ」、柳家小さん「道かん」 桂文楽「す豆腐」、柳家小さん「長屋の花見」、桂右女助「女中志願」、春風亭柳好「穴どろ」、三遊亭円生「寝床」、桂文楽「品川心中」、桂右女助「妻の釣り」、桂枝太郎「競馬狂時代」、春風亭柳橋「青菜」「鹿政談」

 なお、『朝日新聞に見る日本の歩み』という本は、大きな話題となった記事の縮刷版のみが載っており、実際にはこの頃もっとたくさんの噺家のいろいろな演目がラジオ放送されとていたと思います。例えば、古今亭今輔師匠のおばあさんシリーズなどはとても人気があり、私も大好きでよく聴いたものです。

 しかし、中学校以降はだんだんと落語と縁遠くなって行きましたが、2008年春以降、前文に書きましたようにまた落語の噺を大いに楽しむようになりました。ラジオ、テレビ、インターネットの動画サイト等で落語関連のものを見たり聴いたりするだけでなく、私が住んでいます鹿児島市で開かれる落語会にも出かけるようになりましたが、噺家の巧みな話術にお客さんと一緒に笑い興じるとき、CD、DVDなどで聴く落語とはまた違ったなんともいえぬ風情と楽しさを満喫することができます。

 

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