柳家小三治師匠と「ろくろ首」 

  私が小三治師匠の噺を初めて聴いたのは、CD「昭和の名人 古典落語名演集」に入っている「湯屋番」「ろくろ首」で、師匠の地味ですがとても滋味のある語り口に魅了されました。特に、ろくろ首(1978年6月27日に安田生命ホールで収録)の噺は私にとても強い印象を残しました。

  この「ろくろ首」という噺の主人公は松公で、朝夕の挨拶もろくすっぽできないような頭のネジが一本抜けた人物です。腕に職を持つ兄貴はとっくに妻子がいるというのに、松公は25才になってもまだ無職でおっかさんと二人だけのわびしい暮らしを送っています。

 そんな彼がおじさんに相談にやって来て、「あたいも25だから...、兄貴に負けない気になって...、およ、およ、およー、およー」と言いよどみ、おじさんからはっきりいえよと言われ、意を決したように「お嫁さんがもらいたい! お嫁さん! お嫁さん!」と絶叫しだすのですが、それがなんとも滑稽でまたとても哀しいんですね。松公のこの心の叫びは私の耳と心にずっと残ったものです。

鹿児島での「柳家小三治独演会」その1
 
 私が実際に高座で演じる小三治師匠の姿を初めて目にし耳で聴いたのは2010年9月14日のことでした。この日、鹿児島市民文化ホールで「柳家小三治独演会」が開催され、妻と一緒に聴きに出かけました。

柳家小三治『ま・く・ら』(講談社文庫)

 この日の「柳家小三治独演会」では、最初に小三治師匠のお弟子さんの柳亭燕路師匠が「悋気の独楽」を一席やり、その後、小三治師匠が「できごころ」と「小言念仏」を二席続けて語りましたが、会場を一番沸かせたの小三治師匠が噺の本題に入る前のまくら部分での鹿児島の地元ネタ部分でした。

 師匠は鹿児島には久しぶりだとのことで、前にはよく泊まっていた林田ホテルがいまは駐車場になっており、タクシーの運転手さんの話では林田ホテルの経営者がゴルフ場に手を出して失敗したためらしいとか、鹿児島で一番美味しいラーメンと評判で東京にもお店を出している○○○○○は「そんなに美味しいですかね」と疑問を呈したときにはお客さんは大笑い。自然と拍手も起きました。その他に師匠が血糖値が高くなって食生活に注意し、毎日ランニングするようになって10キロも痩せたという話など、結構長時間に渡ってまくら(世間話?)を語り続けましたので、師匠が二席目に語った「小言念仏」は10分程度で終わりました。

 でも、小三治師匠のまくらは長くて面白いことで有名で、師匠独自の自然体で自由に話すまくら部分を活字化した『ま・く・ら』が講談社文庫から1998年6月に出されているほどです。ですから、師匠のまくらを初めから期待して来ていたお客さんも多かったでしょうから、今回の鹿児島の地元ネタに大いに満足したことと思います。

鹿児島での「柳家小三治独演会」その2

 2010年9月14日の「柳家小三治独演会」から約11ヵ月後の2011年10月28日に再び「柳家小三治独演会」が鹿児島市の市民文化ホールで開かれ、妻と一緒に聴きに出掛けました。

 前回の「柳家小三治独演会」では、小三治師匠は本題の「できごころ」のまくらの部分で鹿児島市の繁華街の天文館に昔あった林田ホテルのことや鹿児島の地元のラーメン屋○○○○○等のことを取り上げ、それらの地元ネタで観客を大いに沸かせていたのがとても印象的でした。

 今回は、まず最初に小三治師匠のお弟子さんの柳家〆治師匠が「ちりとてちん」を一席やりました。この〆治師匠について、小三治師匠の奥さんの郡山和世さんが『噺家カミサン繁盛記』(講談社文庫、1999年8月)で「うちの総領弟子。花の二つ目(現在は真打)。山形出身。惜しまず身体を動かすだけが取り柄......と自認している」と紹介しており、また同書には〆治師匠の結婚式で仲人役をつとめた小三治師匠の「ここに居ります新郎の〆治は、あたくしの総領弟子で、いい奴なんだが、シェパードみたいな奴で。忠実で働きもんだが融通ってもんが全くない」とのスピーチも紹介されていたのですが、そんな〆治師匠についての予備知識がそのまま今回の高座でなるほどなるほどと納得されるような内容でした。

 小三治師匠のお弟子さんと言えば、前回開かれた鹿児島での師匠の独演会で「悋気の独楽」を一席やった柳亭燕路師匠については、この『噺家カミサン繁盛記』で「九州小倉出身。早稲田大学出で、身長一メートル六十センチ足らず。年を言えばびっくりするほど童顔。(中略)大学時代は放送研究会に所属し、卒業後はアナウンサーになりたくて、テレビ、ラジオ局を片っぱしから受け、片っぱしから落っこちて、何の因果かハナシ家の門をたたいたという、あまり頭の良くないコースをたどって来た」と紹介していましたよ。

 さて、師匠のお弟子さんの紹介はこれくらいにして、今回の師匠の独演会では〆治師匠の噺が終わったその後に小三治師匠が高座に上がって来ました。小三治師匠は、今回のまくらの部分では鹿児島ネタは林田ホテルのことをちよっと触れただけで、その後、師匠自身がいま鼻づまりで困っていると話し出し、過去の高座での鼻水が止まらずに悪戦苦闘したときのエピソードを語って会場を大いに沸かせました。実際、高座に上がった師匠は、風邪のためか花粉症のためか鼻声で体調がいま一つだったようですが、まくらの部分でそれを笑いのネタにするところは流石だなとその鼻水もしたたるような素敵な芸人魂、プロフェッショナル精神に大いに感心させられました。

 さらに師匠のまくらは続き、師匠がテレビで女子サッカーのなでしこジャパンの活躍を応援したときの様子も面白おかしく紹介しましたが、ドイツ戦で試合が予定時間より遅れたので、NHKがビデオ録画したものを放送することになったそうですが、師匠がハラハラドキドキしながら観戦していると、その途中でニュース番組が入り、なんとなでしこジャパンがドイツに勝った結果を報じてしまい、そのことに師匠が驚きあきれてしまったとのことで、その話に会場は大爆笑でした。

 小三治師匠のまくらは、本当にとても自然体で、観客を笑わすことより師匠自身が楽しんで話しているように感じられ、年季を積んで初めてこのような芸の境地に達することができるのだろうなと羨ましく感じました。

 師匠のいつも通りの長いまくらから次に昔のインチキな見世物の話に変わり、自然と本題の「一眼国」へと入って行きました。この噺、見世物小屋の小屋主が諸国を巡る六部(ろくぶ: 書写した法華経を一部ずつ全国66ヵ国の霊地に奉納するために回国する僧のこと)から真北百里行った場所に大きな原っぱと楠木があり、そこで一つ目の女の子に出会ったという話を聞き出し、これは商売になると六部の話通りに道を辿って出掛けたところ、目論見通り一つ目の女の子を見つけ出したのはいいのですが、彼女をさらって連れ帰ろうとしたそのときに周囲の住人に見付けられて捕まってしまい、小屋主はその土地の役人の前に突き出されることになります。役人から「この不届き者め、顔を上げよ」と言われて顔を上げて周囲を見たら、役人を含めてみんな一つ目で、落ちは役人から「おっ、二つ眼ではないか。よし、連れて行って見世物にしろ」と言われてしまうというものです。

 この「一眼国」という噺、私は初めて聴くネタなんですが、なんだかSF小説のような内容で、それを小三治師匠が淡々と静かな語り口でしゃべることにより、なんとも不思議で奇妙な雰囲気が醸し出されていました。

 中入り後に高座に再登場した小三治師匠の演目はお馴染みの「厩火事」で、鼻詰まりも治った師匠は髪結いをしている年上の妻の女心を細やかにかつ巧みに演じました。こうして今回の独演会はお開きとなりましたが、お客さんは小三治師匠ならではの落語の高座の長閑な楽しさを大いに味わい、充分に満足して帰途に就いたと思います。

 

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