十人十席の噺家の高座  
桃月庵白酒師匠の「寝床」

 
 私は、桃月庵白酒師匠のハリのある美声によるメリハリの効いた巧みな語り口に魅せられて師匠のCDをよく聴いております。白酒師匠の本名は愛甲尚人で1968年12月26日に鹿児島県南大隅町(旧根占町)に生まれ、幼稚園から高校まで鹿児島市内で育ち、鶴丸高校卒業後に早稲田大学に進学し、同大学の落研に入部しています。

 大学の落語研究会は一般に「落研」(おちけん)と略称されていますが、早大の落語研究会の場合は略称「落研」を「らっけん」と読ませており、その歴史は東大と同じくらい古く、小沢昭一によって創立されています。そんな早大の落研にあこがれてい入部した愛甲尚人青年は、部活動のなかでめきめき腕を上げ、1年生の頃から早大の落研に愛甲ありと称せられ、全日本学生落語選手権ては見事優勝し、卒業後も落語一直線、噺家の道に進みました、と言うのは大ウソです。

 桃月庵白酒師匠の自著『白酒ひとり壺中の天 火焔太鼓に夢見酒』(百夜書房、2013年9月)に拠りますと、高校時代はロックと野球に明け暮れる毎日で、大学進学は野球でのスポーツ進学を考えていたそうですが、視力が悪くなって野球の道を仕方なくあきらめ、高校卒業後に1年浪人して早稲田大学に進学し、同大学でたまたま落研に入ったことがその後の人生を変えることになったそうです。

 早大時代は落研の部活動とバイト生活に明け暮れ、4年生になっても就職活動もろくすっぽ行わないような自堕落なモラトリアム的大学生活が終わりに近づいたとき、寝坊のために卒業試験を受けなかったので卒業ができなくなり、学籍を残すための40万円も払えず除籍処分となったそうです。落語家への道は在学中も考えないではなかったのですが、それで食っていけるかどうか不安でなかなか決心が着かなかったのですが、除籍処分となって切羽づまった彼に残された唯一の道は落語家になることだったそうで、思い切って五街道雲助師匠に入門を申込んで許可され、その後は落語の修行に励み2005年に真打に昇進しています。

 白酒師匠はこの自著の「はじめに」の部分に「そんな自分でも、落語が好きという思いがあったから、なんとか、それなりに生活ができていることの幸運。/落語が好きでよかった。」

 この白酒師匠のことを注目するようになったのは、落語関係の本で目にする白酒師匠の評判の高さによるものでした。例えば、広瀬和生『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書、2011年3月)では、あくまでも一人の落語ファンとして二〇一〇年を振り返ると、『桃月庵白酒、春風亭一之輔、立川こしらの三人を熱烈に追いかけた年だった』という印象だ」とあり桃月庵白酒について「二〇〇五年に真打昇進してから、年を追うごとにグングン魅力を増した。特にこの一、二年ほどの活躍ぶりは目覚しい。/白酒の落語を僕は二〇一〇年に五十四席観たが、まったく『ハズレ』が無く(中略)鮮烈に記憶に残っている演目は数多い」と絶賛しています。

 鹿児島で開催された師匠の独演会にも3回夫婦で聴きに出かけており、どちらも大いに楽しみました。特に2013年5月26日の2回目に聴いた独演会第2席目に白酒師匠が高座に掛けた「笠碁」の噺は強い印象を残しました。下手な碁を楽しんでいた二人の大店の旦那がつまらないことから喧嘩別れをしてしまい、二人とも暇を持て余すようになりますが、その様子を白酒師匠独特のいささか毒のある語り口で「楽しむ趣味もなくなってしまった大店の旦那なんてものはただ生きているだけ」と評したところでは、私は大店の旦那ではありませんが、2013年3月に退職しており、「楽しむ趣味もないとただ生きているだけ」という強烈な毒気を含んだ言葉は心にグサッと刺さるものがありましたよ。

 白酒師匠の毒気と言えば、評論家の広瀬和生が「羊の皮を被った狼のような落語」と評し、その魅力の一つが毒気ですね。前掲の白酒師匠の自著『白酒ひとり壺中の天 火焔太鼓に夢見酒』125頁に、同じ早稲田の落研出身の柳家甚語楼と二人会などをやっていた頃、マクラで「ざっくばらんに好き勝手に、愚痴と腹の立った話題をただ羅列していただけ」だったそうですが、甚語楼から「空気が悪くなる」と言われ、「毒のあり過ぎるマクラをちょっと変えてみるか、そんな感じで、愚痴話をちょこっと変化させてみたのです。マイルドなアイロ二ーに変えるというか、言い方を工夫してみました」と書いています。

 2015年5月24日に鹿児島市内の黎明館2階講堂で開かれた桃月庵白酒独演会では、その毒気が充分に発揮され、大いに満足させられました。例えば今回の独演会の主催者の方々に感謝の意を表しながら、渡された濡れタオルがキンキンに冷やされており解くのが大変だったとか、借家の相場が人気の有無によって違いがあり、例えば鹿児島ならほぼ同じ場所でありながら「玉里」と「伊敷」とではイメージが違う、と言って後は言葉を濁したり、さらに高崎山の猿の赤ちゃんの愛称を「シャーロット」とするときに英国大使館に問い合わせたが、「きっと大使館から見たら猿と日本人の区別なんかつかないだろう」と毒気が炸裂し、会場は大爆笑でした。

 この白酒師匠の噺をインターネットで調べていると、師匠の「寝床」が有料ダウンロードサイト「落語の蔵」にあることが判明しました。 東京千代田区の内幸町ホールで2008年10月11日に収録したものだそうで、すぐにダウンロードして聴くことにしました。

 落語の「寝床」は、義太夫(浄瑠璃)狂いの商家の旦那が自分の店の奉公人や所有している長屋の店子たちに自慢ののどを聞かせようとするお噺で、好きで自分だけ趣味でやっているならいいですが、それを他人に無理矢理押し付けると大変迷惑なことになるということを面白可笑しく描いた古典落語の傑作ですね。

 桃月庵白酒師匠は、まずマクラで、「世間では株価の暴落があってみんな大騒ぎしており、楽屋でもどうしょうかと話し合いがありましたが、結論としては何も出来ないということでした」と師匠らしいオトボケで観客をさらっと笑わせ、さらに落語人気に触れ、落語ファンの方は他のコンサートの熱狂的なファンと比較して一般的に冷静だが、もしこれが熱狂的な噺家ファンたちが合同ライブに詰め掛けてお互いに喧嘩しだしたり大騒ぎしたらとても迷惑な話だと白酒師匠一流の毒のある例え話でさらに爆笑させ、落語ファンのなかには聴くだけでなく、自分からやりたい人も出て来ており、発表会でいきなり「文七元結」などの難しいネタを高座に掛ける人もいるが、なんでも好きなものはやりたくなるのが人間の性(さが)ですと言って本題に移行していきます。

 白酒師匠の「寝床」を聴いて感心させられたのは、義太夫狂いの商家の旦那が奉公人の茂造から長屋の連中たちの義太夫の会への断り理由を聞かされ、始めはいささかガッカリしてもそれなりに機嫌よくしていたのが、次第に機嫌を悪くし、御内儀(おかみ)さんや店の奉公人まで茂造を除いてみんな身体のあそこが悪いここが痛いと言って義太夫の会に出て来ないことを知ってついに怒り出す感情の変化の描き方です。義太夫の会を催すために朝から張り切り、招いた客たちに振舞う料理まで準備万端整え、後は自慢のノドを聴かせるばかりと心をワクワクさせていた旦那の感情の起伏の描き方が実に上手いんですね。

 この旦那、きっと本来はとっても好人物だと思うんですね。自分の義大夫が決して上手くないことも充分分っているのだと思います。だからこそお客様には上等な料理を振舞ってまで自分の義大夫の発表会に来てもらおうとしたのでしょう。でも義太夫狂いになっているから、その発表会の当日は気分が高まって正常な精神を失っているのです。あれこれ理由をつけて来ない長屋の連中には長屋から出て行ってもらう、お店の奉公人にはみんな暇を取らせるなんて無茶なことを言いだします。まさに狂っているんですね。噺を聴いたお客さんはこの旦那の狂いっぷりに大笑いしますが、ことわざに「人の振り見て我が振り直せ」とあります。大いに気をつけるべきことですね。えっ、「最近クレパス画を始めたやまももはどうなんだ」ですって。うーん...(後は無言)。

 

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