やまももの部屋

のんちゃんと風船とピラカンサ

 
 日曜日の朝、ポーン、ポーンと花火を打ち上げる音が晴れ渡った秋空に響きます。私の住む新興住宅団地に新しくできたスーパーの開店祝いの花火の音です。私とのんちゃんはそれに誘われるようにおうちを出ました。のんちゃんは私の次男坊で、幼稚園の年中組さんです。私たち二人は約1キロの道のりをバス通りに沿ってスーパーまで歩いていきました。 

 
 
カンサの小鉢 
 日曜日の朝、ポーン、ポーンと花火を打ち上げスーパーの前にはいろんな地域の様々な特産物を売る沢山のテントが立ち並び、買い物客でとても賑わっています。子どもたちには無料で風船が渡されていますよ。のんちゃんもおじさんからボンベで大きく膨らませた赤い風船をもらいました。風船は天然パーマののんちゃんの頭の上でふわふわと秋風に揺れ、のんちゃんもにこにこ顔です。 

 苗木を売るコーナーもあり、私は小さな赤い実をいっぱいつけたピラカンサの小鉢を買いました。お店の中を一巡した後、私とのんちゃんは家路につくことにしました。帰り道は行きと違って住宅街のなかを通っていきました。

のんちゃんと風船とピラカンサ

 のんちゃんは右手に赤い風船のひもを握って上機嫌です。おやおや、風船を風になびかせて急に走り出しましたよ。あぶない、あぶない、あっ、転んだ、バーン。おやおや、のんちゃんは膝小僧を擦りむき、風船は割れてしまいました。

  のんちゃんがわーっと泣き出しました。だいじょうぶ、だいじょうぶ、フーセンはおうちに帰ってからパパがまたお店までもらいにいくから泣かないで。でも、のんちゃんはばたばたと地団駄踏んでますます泣きじゃくります。いやだ、いやだよ、いまもらうんだ。その泣き声があんまり大きいので、近くの家の人が不審に思って外に顔を出しました。

 わかった、わかった、いまもらってくるからと、近くの空き地にピラカンサの鉢を置き、のんちゃんをそこに待たせて、私はお店に引き返しました。

 風船をもらって元の場所に帰ってきましたが、あれっ、のんちゃんの姿が見えません。ピラカンサの鉢もありません。空き地の周囲を見渡しても、しーんと静かな住宅街に全く人影がありません。どうしょう、どうしょう。冷や汗がどっと出てきました。誘拐されたんだろうか。まさかそんなことはないでしょう。おうちに一人で帰ったのだろうか。でも、ここからおうちまで700メートルぐらいはあるし、幼稚園児に帰り道が分かるだろうか。それに、幼い子どもにはピラカンサの鉢は重たいだろうし……。あれこれ考えた結果、私はスーパーに引き返すことに決めました。のんちゃんが私の跡を追ってスーパーに戻り、そこで迷子になっている可能性が大だと判断したのです。私は風船の糸をしっかりと握ったままスーパーへと全速力で走り出しました、風船が肩のあたりでぽんぽんと飛び跳ねます。

 しかし、スーパーのお店の前の広場にのんちゃんの姿を見つけることはできませんでした。店内にもいません。お店の人に頼んで店内放送をしてもらいましたが、青い縞の入った白い上着に青い半ズボンの天然パーマの坊やを捜し出すことはできませんでした。近所の人が自動車で買い物に来たのを見つけ、藁にもすがる思いで頼み込み、店の周囲を車で捜してもらいました。しかし、それでも見つけることができません。嗚呼、せっかくのんちゃんのために風船をもらってきたのに、のんちゃんの笑顔はもう二度と見られないのでしょうか。

 万策尽きた私は、お店の事務所で電話を借りて自宅に連絡をとることにしました。風船を結んだ糸を左手でしっかり握りながら、家にダイヤルしました。妻が電話に出てきたので、大変だ、のんちゃんが迷子になってしまったと告げたとき、私の声はいささかうわずっているようでした。それなのに、おやっ、どうしたことでしょう、電話の向こうで妻が笑っていますよ。彼女が言いました。あら、のんちゃんなら帰ってるわよ。

 あれから5年が過ぎました。のんちゃんは小学3年生。のんちゃんが地面を引きずりながら家まで一人で持って帰ったピラカンサもわが家の庭で随分大きくなりました。のんちゃんと背比べをしたら、どっちが高いかな。のんちゃんも元気ですが、ピラカンサも濃い緑の葉を繁らせ、沢山のまるい実をつけています。実のほとんどがいまはまだ青いけれど、秋の深まりとともに赤く色づいていくことでしょう。
  文章 1997年9月17日作成 


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