私の宮部みゆき論

宮部みゆき『レベル7』に見る顔のない登場人物たち

 私がこの『レベル7』を読むのは今回で3回目なんですが、読み終わってまず最初に思ったことは、この小説の内容と同小説が1990年に新潮社から出版されたときの表紙の装画とがとてもマッチしているということでした。表紙カバーの装画にはマーク・コスタビの絵が使われており、題名は「Upwardly Mobile」とのことです。題名を直訳すれば「上方へと移動可能な」ってことになりますね。マーク・コスタビ独特ののっぺらぼうの人物は、階段をさらに上ろうと思えば上れるけれど、さてどうしょうかと思案に暮れているのかもしれませんね。

 装画のバックに描かれている階段に対しては、この小説の題名にも使用されているレベル7の段階区分がまずイメージされるでしょうし、また真実究明のために踏み越えて行かねばならない幾つもの段階を象徴しているようにも思えますね。それから、顔がのっぺらぼうな人物がこの小説の装画に使用された理由については、これは『レベル7』の読者にはすぐ分かるでしょうね。

 『レベル7』には、過去の記憶を喪失した二人の男女が登場します。彼らは、自分の住所・氏名や年齢・職業或いは身分、さらには肉親・親類縁者等の全てのことを憶えていないのです。本人にとてもそうですが、読者にとってもこの二人の記憶喪失者はのっぺらぼうな存在として物語に登場して来るわけですね。

 この小説の面白さの一つは、そんなのっぺらぼうな人物の身元が究明されていく過程にありますね。では、二人の記憶喪失者の身元が明らかになっていく中で彼らののっぺらぼうな顔に目鼻や口などか描かれるようになったでしょうか。おそらく読者にとっては、彼らは最後の最後までのっぺらぼうだったのではないでしょうか。そして、のっぺらぼうなのはこの二人だけではありません。悪役を演じる人物たちもまた見事にのっぺらぼうなんです。いや、のっぺらぼうな顔に「ボス」とか「不良息子」といった役柄を書いた紙がぺたっと貼り付けられていると表現した方がいいかもしれません。

 『レベル7』は、宮部みゆきが作家としてデビュー(1987年に短編「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞)してからまだ3年にも満たない時期に出版された初期の作品で、『パーフェクト・ブルー』、『魔術はささやく』、『我らが隣人の犯罪』の次に出版されていますが、私などは登場人物の造形面において大いに不満を感じたものです。しかし、作者自身はそんなことは百も承知で執筆しているのかもしれません。

 おそらく宮部みゆきは、二人の記憶喪失者の身元探しとそのなかで明らかになってくる驚くべき事実の解明過程の面白さを読者にミステリアスでスリリングなエンターティンメントとして提供したかったのであり、そのために様々な謎を複雑に絡み合わせ、またそれらを解明していくための伏線を効果的に張り巡らせることになによりも力を注いだのだと思います。

 しかし、そんな特徴を持った『レベル7』ですが、それでもサイドストーリーの真行寺悦子(一種の「電話駆け込み寺」である「ネバーランド」のスタッフ)と彼女の両親に関するエピソード部分などには、その後の宮部みゆき作品と全く同じティストを楽しむことができました。特に、真行寺悦子に父親の義夫が妻の織江(悦子にとっては母親ですね)の隠された秘密を打ち明けた場面で、悦子が義夫に缶ビールを差し出しながら「三十四歳になって三十七歳当時の母親の浮気を知ると、缶ビールが飲みたくなるの」なんて言い、それに対して義男が「そりゃ、コマーシャルに使えそうな科白だ」と言葉を返すところなんかまさにお馴染みの宮部節ですね。よく冷えたビールのほろ苦い味わいがなんとも言えませんね。

 この頃に私の大好きな宮部節がもうちゃんと生まれていたんだなということを再認識させられたのが今回の読書の最大の収穫でした。
2004年1月10日
「我らが隣人の宮部さん」
『レベル7』等についてのコメント


宮部みゆき『パーフェクト・ブルー』に見る大胆な試み

 『パーフェクト・ブルー』は宮部みゆきのデビュー作です。なお、オール讀物推理小説新人賞を獲得した短篇「我らが隣人の犯罪」が『オール讀物』1987年12月号に掲載されており、この短篇によって彼女はすでに作家としてデビューしていました。しかし、彼女の著作として初めて出版された単行本は、「鮎川哲也と十三の謎」シリーズの一冊として東京創元社から1989年2月に出されたこの『パーフェクト・ブルー』だったのです。

 ですから、『ミステリーズ!』Vol.01(2003年6月24日発行)の「私がデビューした頃 十五年ひと昔」と題するエッセイで宮部みゆきは、「折原一さん、北村薫さん、有楢川有楢さん、山口雅也さん、今邑彩さん、そしてわたしミヤベ。みんながデビューした『鮎川哲也と十三の謎』シリーズが刊行されたのは、平成元年のことでした」と書いているのです。また同エッセイの中でつぎのような事実も紹介しています。

「実はわたしが『鮎川哲也と十三の謎』に参加するきっかけをつくってくれたのは、折原さんなんです。当時、オール讀物推理小説新人賞に応募して、最終候補までは残ったのですが落選したわたしの名前と、そのときの選評の内容を、折原さんが覚えていてくれたのですね。で、『十三の謎』に参加する新人作家を探していた戸川さんに、『こんな人がいますよ』と教えてくれた。それで戸川さんがわたしに連絡してきてくれたという次第。このとき折原さんは戸川さんに、『オール推理で落選したけど、なかなか面白そうな女の子の書き手がいますよ』と言ってくださったのでした。これはご本人からの直話ですから確かです。おお、『女の子』ですよ! わたしも当時はそうだった。今じゃねえ。十五年の歳月は残酷よ。」

 ところで、上記のエッセイに出てくる「戸川さん」とは、『鮎川哲也と十三の謎』シリーズの編集を担当した戸川安宣のことで、後に東京創元社の社長になり、現在は会長職にあります。そんな戸川安宣が、2001年4月初版の創元推理文庫版『パーフェクト・ブルー』に「宮部さんのデビューの頃」という文章を執筆しており、「宮部さんがオール讃物推理小説新人賞を受賞したのが昭和六十二年十月、『かまいたち』で歴史文学賞に佳作入選したのが、その二月後であった。宮部さんと初めてお目にかかったのは、まさにそういう時期だった」ということや、「当時の宮部さんは、法律事務所に勤めながら、講談社フェーマス・スクール・エンタティンメント小説教室に通っていた。その教室での習作が何本かある、という。それらを纏めて読ませていただいた」こと、「『パーフェクト・ブルー』をいただいたのは一九八八年の十月――東陽町駅近くのビルの二階にある喫茶店だった、と記憶する」といったことを紹介するとともに、「どうも記憶が定かでないが、『パーフェクト・ブルー』の第一稿は三人称で書かれていたように思う。加代子が『ラ・シーナ』に進也を探しに行って、酔っばらいに絡まれるシーンから物語は始まっていた。進也がそこに恰好良く登場し、そして『ラ・シーナ』のマスターがそれに輪をかけたようにカッコいい。印象的なイントロだったが、宮部さんは書きながら犬の一人称、という思い切った趣向を試してみたくなったのだろう。全面的に書き直された完成稿は、現在お読みいただいている形に大幅な変更がなされていた」という興味深い事実も明かしています。

 戸川安宣は、「犬の一人称、という思い切った趣向」と表現していますが、鮎川哲也も『パーフェクト・ブルー』に寄せた解説で「動物の視点で語られたミステリというのは、かつてなかったのではあるまいか」と書いています。では、そのようなミステリとしてはかつてなかったような思い切った趣向が試みられた『パーフェクト・ブルー』は、その試みを成功させたのでしょうか。

 私にとっては、この『パーフェクト・ブルー』は確か第5冊目となる宮部作品だったと思うのですが、店頭で「鮎川哲也と十三の謎」シリーズの一冊としてこの小説が並んでいるのをやっと見つけたときはとても嬉しかったものです。しかし、この小説の読了後には、犬を語り手に設定し、製薬会社の新薬開発競争や入学者獲得をめぐる私立高校間の競争を殺人事件と絡めて展開させるなど、とても野心的なミステリー作品だとは思ったのですが、それまで読んだ宮部作品の中で一番低い評価を与えざるを得ませんでした。特に、メインの諸岡克彦殺害事件に関して、「犯人」の隠蔽工作の方法にどうしても納得がいきませんでした。あの「犯人」にはあんな無惨なことや卑劣なことができるはずがないと思ったのです。意外な「犯人」が語る告白内容に対して、何とも言えぬ後味の悪さを感じてしまいました。

 また、本を開いて読み始めた当初は、犬のマサの語りがとっても楽しかったのですが、読了したときには私の意識から犬のマサが語り手をつとめていたという設定のことはほとんど消え去っていました。表紙に描かれたシェパードの絵を見直して、そう言えば語り手が犬のマサだったと思い出したくらいです。

 犬のマサが語り手をつとめていることが後半になればなるほど読み手にとって希薄になってしまうのですが、その理由は極めて明白だと思います。犬のマサは、蓮見探偵事務所に飼われている探偵犬として諸岡克彦が殺害された事件に関わるようになったのですが、その殺人事件の背後に隠されていた製薬会社の新薬開発に関連する秘密の部分については、探偵犬のマサを含む蓮見探偵事務所のメンバーの調査や推理によって解明されていくのではないのです。ですから、マサはその重要な部分を彼の語りで読者に伝えられないのです。

 この小説の目次を見ますと、「プロローグ」の後、「第一章 マサは語る」、「幕間 木原」、「第二章 再びマサは語る」、「幕間 再び木原」、「第三章 最後にマサは語る」、「エピローグ」となっているように、マサが2回にわたって語り手の役割を中断しているのです。そして、「幕間 木原」と「幕間 再び木原」のなかでは、物語は製薬会社に勤務する木原という人物の心に寄り添って三人称視点で進行するだけでなく、この小説において最も重要な秘密もまた事実の隠蔽者側によってそこで明らかにされているのです。

 作者は「犬の一人称、という思い切った趣向」を大胆に試みたために、このような「幕間」を設け、そこに登場する人物たちに製薬会社の新薬開発に関わる秘密を語らせなければならなかったのでしょう。なぜなら、犬のマサにはそのような種類の秘密を直接彼の目で見聞きすることは不可能でしょうし、もしマサが仮りにいろいろな手がかりから得た情報によって推理する能力があったとしても、それを蓮見探偵事務所のメンバーに人間の言葉で理路整然と伝えることはできないからです。それはまた、読者にもマサの語りによって伝えられないということですね。

 この『パーフェクト・ブルー』の単行本の裏表紙には、作者の宮部みゆきの言葉が印刷されていますが、この物語の主人公であり語り手である犬のマサについて、「彼は中年で、少し疲れていて、ちょっとシニカルで、彼の周囲にいる人間たちをこよなく愛しています。たいていの場合彼は辛抱強い傍観者ですが、時には行動的になることもあります。彼は一本立ちの犬なのです」と紹介しています。

 作者は、たいていの場合「辛抱強い傍観者」である中年犬マサの「ちょっとシニカル」な視点からこの物語を描くことによって、ちょっと渋くてダンディでまたユーモラスな味わいを出したかったのだと思います。そして、前半ではその目論見がそれなりに功を奏していたと思います。しかし、読者はそのためにこの小説の最も重要な謎の部分の解明を犬のマサの口から伝えてもらえなかったのですから、語り手としてのマサの影が薄くなるのは当然ですね。そして、このことは探偵する側から謎を解明していくというミステリ小説の醍醐味をも大いに損なう結果になってしまいました。

 この『パーフェクト・ブルー』が宮部みゆきのデビュー作ということで、最初にこの小説を手にとって宮部みゆきの作家としての評価決めをしょうとする人もいるかもしれませんね。しかし、そのような方たちには、このデビュー作において作者はミステリとしてはかつてなかったような思い切った趣向を試みたのであり、そのような意欲的なチャレンジ精神がその後の彼女の作家としての飛躍につながっているのですよ、とお伝えする必要がありますね。
2004年1月24日
「我らが隣人の宮部さん」
パーフェクト・ブルー』等についてのコメント



宮部みゆき『日暮らし』に見る13歳のハローワーク


 この『日暮らし』(講談社、2005年1月)という小説は、単独で読んでもとても面白いと思いますが、『ぼんくら』(講談社、2000年4月)の続編で、鉄瓶長屋の騒動から約半年後のこととして書かれています。そして、前作同様に臨時廻り同心の井筒平四郎や煮売屋のお徳、回向院の茂七親分がテープレコーダーがわりに昔の出来事を記憶させた「おでこ」こと三太郎、聡明で推理力抜群の美形の少年・弓之助、本所元町の岡っ引きの政五郎親分、以前は鉄瓶長屋の差配をしていた真面目でしっかり者の佐吉などが登場して来ますし、さらに連作短編の形式で物語が展開していく過程でまたあの湊屋の複雑な家の事情もいろいろからんで来ます。ですから、できましたら前作『ぼんくら』をまず読まれてから、そのつぎにこの『日暮らし』を読まれた方がより物語を楽しめると思います。

 『日暮らし』を読み始めた読者は、まず「おまんま」という短篇を読んで、悩み事から食事も喉に通らなくなったおでこのその悩み事を知り、おでこの健気な心情にほろりとさせられ、思わず彼をしっかりと胸に抱きしめたくなると思いますよ。なお、おでこの悩み事を明らかにしますと、この「おまんま」という短篇のネタばらしになってしまいますが、でもそれを明らかにしないと私の今回のコメントがなんとも語りにくいので、彼の悩み事は題名どおり「おまんま」のことだったんですよ、とバラさせてもらいます。

 13歳のおでこは、本所元町の岡っ引きの政五郎親分の手下(てか)をしているんですが、政五郎親分の家にやって来た植木屋から、親分に無駄飯を食わせてもらっているから幸せ者だ、といったことを言われ、それを気に病んで寝込んでしまったんです。しかし、秀明という似顔絵扇子を描く絵師が殺害された事件で、おでこがその抜群の記憶力によってお手柄を立て、井筒平四郎から「おまえは政五郎親分の立派な手下だと褒められて自信を持ち、元気を取り戻すのです。そんなおでこは、それ以来、彼の抜群の記憶力こそ「自分の生計(たつき)の道、おまんまのいただき方」だと悟り、自ら積極的にこまめにほうぼうへ足を運んで昔話をしてくれる人に会ってその話を頭に収める努力を開始するんですよ。

 ところで、『週刊文春』2005年2月3日号の「著者は語る」欄で宮部みゆきが『日暮らし』について語るなかで、このおでこの悩む姿には、書き手である彼女自身の悩みが仮託されているとしており、さらにつぎのように語っています。

 「それこそ、現実に痛ましい事件があるのに、言うならば、そういう不幸を題材にして物語を書いている自分はこれでいいんだろうか、って。でも結局は、自分が書くことで、それを喜んでくれる人がいたりして、もしかしたら何かの役に立つことがあるかもしれない。だとしたら、それをやっていくしかないんだ、それが自分のおまんまの道なんだ、と」

 この「おまんま」のつぎの短篇「嫌いの虫」では、いまは植木職人の佐吉とその妻のお恵との間に生じた得体の知れない気詰まりの正体はなんなのか、読者はお恵の心情に寄り添いながら不安に駆られ、つぎの短篇「子取り鬼」では、二人の子どもを抱えて綱渡りのようなその日暮らしをしていたお六が、やっと六本木の芋洗坂のお屋敷に安定した働き口を見い出したにもかかわらず、災厄が突然襲い掛かり、そのために読者は彼女と一緒に恐れおののくことになります。さらに「なけなし三昧」では、同じ長屋に奇妙な商売仇が現れて困惑する煮売屋のお徳に同情し、また彼女の商売仇であるおみねの算盤勘定に合わないお菜屋商売に不審なものを感じ、そこになにか隠された秘密があるに違いないと思われることでしょう。

 このおみねのお菜屋商売の謎を鋭く推理するのが、おでこと同い年(13歳)の美形の少年である弓之助です。彼は、「そこらの大人が十人合わせたよりも上等なおつむを持っている」少年で、おみねが採算を度外視してお菜屋を営み始めたことについても、「探したいと思う人物に、こちらを見つけてもらう」ためにやりだしたのだろうと平四郎に自分の推理を述べるんですが、これがズバリ的中するんですね。

 この短篇「なけなし三昧」に続いてこの小説は長篇「日暮らし」へと続きます。宮部みゆきは、『週刊文春』2005年2月3日号の「著者は語る」欄で『日暮らし』について語っているのですが、独立した短篇4つを同書のイントロに持ってくるという構成について、つぎのように述べています。

 「私は半村良先生の『どぶどろ』という作品が大好きで、ああいう構成で書いてみたかったんです。さすがに、あそこまでの名人芸は自分にはできないけれど、本来なら長編小説の中で語られる伏線みたいなエピソードを、独立させて短編にする手法はあるな、と。それならば、私にもできるかもしれないと思ったんです」

 さて、4つの短篇のなかで語られる伏線的なエピソードを受けて、長篇「日暮らし」では、六本木の芋洗坂で起きた殺人事件に平四郎たちは乗り出して行きます。ここでも、平四郎が事件の究明行き詰まったとき、弓之助が事件が起きた当時の現場の様子等をあらためて冷静に見直し、事件の「複雑な経緯から一歩離れて、起こった゛事゛の有り様だけを見てみると」、どうもこの事件は被害者とのあいだに「深い因縁を持つ人の仕業とは思えないのです」との判断を下し、またもやズバリ的中させています。こんな弓之助は、おでこの頭に記憶された昔の事件のデーターベースを効果的に引っ張り出して利用できるようにするため、事柄の概要と年月日を書き並べた目録作りを始めたりもしています。そんな彼は、きっと平四郎の家の養子となって将来はその素晴らしい推理力を活かして立派な同心となることでしょうね。

 なお、宮部みゆきは、『週刊文春』2005年2月3日号の「著者は語る」欄で、この弓之助についてつぎのように語っています。

 「弓之助というのは、どこか巫女さんめいたところのある子供で、物事が良く見える。それは、子供だからこそ、雑念を知らないからこそ見える道すじなんですね。ただ、それだと謎は解けるけれど、事は収まらない。それをうまくバランスをとってあげる、生きていくというのは、身体で生きていくんであって、頭で生きていくんじゃないんだからと、揺り戻しをしてあげたり、支えてあげたりするのが、平四郎の役目なんです。そういう意味で、弓之助と平四郎はホームズとワトソンなのかな、と」

 なお、時代小説『日暮らし』の中核を構成して上巻から下巻へと続く物語「日暮らし」という題名には、日々の生計を営むという意味が込められていると思います。そして、この時代小説を読んでいますと、村上龍の『13歳のハローワーク』(幻冬舎、2003年11月)という本のことが自然と頭に浮かんできました。この村上龍の本、私の高校1年生の次男坊が、高校の先生から読んだらいいよと薦められたので読んでみたい、と彼には珍しく読書希望を言い出しましたので、二つ返事で承諾し、書店でその本の予想外に大きくて分厚いのと値段の高いのに驚きながらも購入したものです。

 『13歳のハローワーク』は、「この本にある数百の仕事から、あなたの好奇心の対象を探してみてください。あなたの好奇心の対象は、いつか具体的な仕事・職業に結びつき、そしてそれが果てしなく広い世界への『入り口』となることでしょう」とし、「花や植物が好き」「音楽が好き」「スポーツをするのが好き」等のオーソドックスなものだけでなく、さらには「戦争がすき」「エッチなことが好き」なんてものまで、とにかく様々な興味の対象を選択の「入り口」に設定して514種類の仕事を紹介しています。

 もしかしましたら、親の中には「バカいってんじゃないよ。仕事は遊びじゃないんだから。好き嫌いで職業を考えるなんてそんな甘えた考えを持つんじゃない」と一蹴する人もいるかもしれませんし、「まず勉強しなさい。偏差値を上げていい学校に進学できるようにすることが先決問題です」とおっしゃる方もおられると思います。しかし、こういう切り口で進路選択を考える本は当然出るべくして出たなって感じですね。よく売れているようですが、いいんじゃないでしょうか。この手の本、柳の下に何匹も泥鰌(どじょう)が釣れる読者側の土壌が大いにあるような気がしますよ。

 それで、なんで宮部みゆきの新作『日暮らし』を読んで『13歳のハローワーク』のことを連想したかといいますと、一つにはこの物語に登場して活躍するおでこ(三太郎)と弓之助がどちらも13歳ということもあります。しかし、それよりもなによりも、この『日暮らし』と題された小説のなかで多くの登場人物たちが自らの生計(たつき)の道を真剣に探求しているからなんです。それに、『日暮らし』の最初の短篇「おまんま」で平四郎が「結局、人がおまんまを食う手段は限られるってことじゃねえのか。誰でも、自分のできることしかやりたくねえんだよ」って村上龍みたいなことを言っているからです。

 『日暮らし』で頑張っているのは13歳のおでこや弓之助だけではありません。貧しい農夫の子として生まれたお六は、その真面目で誠実な働き振りから六本木の芋洗坂のお屋敷の女主人に重宝がられ、女主人が亡くなった後は鍋町の「いさご」という飯屋でかいがいしく働き始めます。世話好きで料理上手の煮売屋のお徳は、おみねが夜逃げしてお菜屋を放り出したために困っていたおさんとおもんの二人の娘のために彼女の商いを拡張することになります。おっと、それから平四郎の美形の細君も三日に一度、日本橋小網町の桜明塾という手習い塾で女の子たちに読み書き算盤だけでなく行儀作法も教えているそうで、聞くところによりますと、なかなか厳しい師範だそうですよ。この物語の女性陣、みんなよく頑張ってますね。

 それから、これまでの生き方に疑問を抱いて新たな生計(たつき)の道を模索し始め、ハローワークに相談したらいいのじゃないかと思える人たちも登場して来ますよ。新吉という人物は、石和屋という名高い料理屋の料理人のなかでも一番偉い「包丁人」なんですが、煮売屋のお徳の煮物を楽しみにしている客たちを見て、自分の客たちは格式だの体面だのそんなことばかりを気にしていて、口は奢っているが料理を楽しみにしてくれはしないと嘆き、お徳の商売が羨ましいと言い出します。また、湊屋の跡取り息子と思われていた宗一郎という人物も、「湊屋の身代だの、跡取りだの、そんなことはすべて捨てて、一から新しくやりなおした方がいい。なんでもいいから手前が生計(たつき)の道を見つけ、一人で食えるようになって、母を迎えに行き、湊屋から連れ出そう。そんなふうに考えるようになったんでございます」と言い出します。

 まあ、いつの時代も自らの生計(たつき)の道を見つけ出すことはとても大切なことですし、また非常に大変なことですね。『日暮らし』もまた一種の『13歳のハローワーク』として読むこともできますね。

 ところで、お六が働いていたのは六本木の芋洗坂を登ったところにあるお屋敷でした。いまは、その芋洗坂を下ったところにトレンディでセレブなスポットとしてとても人気の高い六本木ヒルズがあります。私の様な人間には全く縁のなさそうなところですが、『日暮らし』では、江戸時代の芋洗坂周辺の情景をつぎのように描いています。

 「このあたりも町屋の数は多い。うねるように上がったり下がったりする細い道に沿って、軒を連ねて立ち並んでいる。が、そのすぐ向こうには大きな薮があり、農地があり、武家屋敷の長い塀がめぐっていて、鎮守の森があり、その先がまた農地という具合で、平四郎が馴染んでいる本所深川や日本橋近辺の景色とはかなり違っている。家々の窓に灯る灯も、ひとところではたくさん寄り集まっており、少ないところでは夜明けの星のようにぽつんぽつんととびとびになり、降りてきたばかりの夜のとばりが、しいんとそこらを閉ざしている。」

 この芋洗坂を登って、お六が働いていた屋敷をさらに行き過ぎたところに田畑持ちの地主の農家があるんですが、弓之助がその地主の下で働いている小作人の粗末な小屋を見て非常な衝撃を受け、平四郎につぎのように語っています。

 「わたくし、畳の一枚もないおうちというのを、初めて見ました。壁の羽目板はすかすかで、どこに座っても隙間風が吹いてきます。土間は泥だらけで、庭とも呼べない荒れた庭先に、痩せっぼちの鶏がよろよろ歩いているのです。台所も、その、何と申しますか、ろくな道具がないのです。食べ物らしいものも見当たらないのです」

 裕福な商家に育った弓之助の目には、その粗末な小屋の住人たちが着ているものが、自分の家でなら「雑巾にしてしまうような古着」であり、子どもたちがみんな草履もはかずに裸足のままでいることにもショックを受けます。小作人の貧窮した生活を初めて目にした弓之助は、殺人事件の下手人探しなど放り出して、このような貧しい生活をどうするか、「そっちの方にこそ頭を使いたくなりました」と平四郎にその心情を語っています。

 それに対し、平四郎は、「この世のことを、おめえ一人で全部背負(しょ)い込むわけにはいかないんだよ」とやんわりと諭すとともに、弓之助が抱いた純粋な義憤と疑問に応えて、江戸の町の近在の農家のなかには、市中の需要に応えて野菜や果物、鳥の肉や卵などを売りさばいて豊かに儲けているところもあるが、また「働いても働いてもお上と地主に搾り上げられ」、その日暮らしのどん底生活をしている貧しい人たちも多数いることを教えます。平四郎は、これから生計(たつき)の道を模索していく13歳の弓之助君に、彼がこれまで知らなかった社会の一面を教えているわけですが、これもまた一つの「13歳のローワーク」なのかもしれませんね。

 作者の宮部みゆきは、このようにお六が働くお屋敷を六本木の芋洗坂の近くに設定しているのですが、この芋洗坂のお屋敷が初めて出てくるのは『小説現代』2002年5月号に掲載された短篇「子盗り鬼」でした。六本木ヒルズは2000年4月着工、2003年4月竣工ですから、宮部みゆきが芋洗坂のお屋敷を舞台にしたお話を書き始めた頃にはまだ建設途中だったわけです。しかし、彼女はおそらくこの建設途中の六本木ヒルズのことを意識しながら芋洗坂のお屋敷を小説の舞台に設定したのではないかと私は推測しています。なお、宮部みゆきが所属する大沢オフィスの事務所の所在地も六本木だそうです。ですから、建設途中の六本木ヒルズを意識しないはずはないですね。

 なお、インターネットの検索エンジンでこの芋洗坂のことを調べておりましたら、幸いにして紅いもさんが運営しておられるHP「脱力系東京散策サイト」の「東京散策記」中の「六本木」のページがヒットし、芋洗坂の写真とその記述を拝見することが出来ました。それで紅いもさんのご承諾を得てリンクをはらせてもらいましたので、ぜひご覧になってくださいね。

 『日暮らし』には、江戸時代に生きる様々な人々の日暮らしやそれにかかわる思いが描かれていますが、[いまを生きる私たち」にいろいろなことを語りかけているような気がします。

 、『週刊文春』2005年2月3日号の「著者は語る」欄によりますと、ぼんくらシリーズは、3作日へ向けての構想も着々と進んでいるとのことです。非常に楽しみですね。
2004年12月26日初稿
2005年1月29日改稿
「我らが隣人の宮部さん」
『日暮らし』等についてのコメント


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